環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧

比治山トンネルと路線バス

平和大通りの東端が鶴見橋で、そのまま東へ道は延びて比治山トンネルへ。 そこを通る路線バス3つはいずれも大学病院を主な目的地とする。 広島バスは2路線。 広島駅から南下してトンネルを通り、段原-大学病院-広大附属高校-県病院-県立大学というルートと、…

浮き彫り指差し

市内電車の比治山下から比治山に上がる坂道。 ちょうど比治山の中央にあたる地点、道が南北に分かれる所に道しるべが立っていて、 正面に大きく「陸軍墓地」と、その方向(南)を示す白い指差し。旧軍だけに軍手であるか。 他の面にはそれぞれの方向の地名・施…

対岸むすぶ

久保橋を渡って少し下流に立っているのが「危険区域(始点)」のしるし。 川の両岸に立っていて、互いに指さしした絵を向けあっている。 下の写真で言うと、橋名板の向こうにかすかに見える白い柱。

ダムの前後

土師ダムのすぐ下流、立入禁止の表示とともに地図があり、貯水池と江の川のうち、立入禁止区域を(消えかけの)赤で示してある。 ダムの上から見た湖面いっぱいと、 見下ろした川の久保橋までがその区域。

八千代湖

土師ダムの貯水池の名が八千代湖。 "土師ダム" に一致する日本語のページ 約 22,500 件 "八千代湖" に一致する日本語のページ 約 3,400 件 さすがにダム名よりは件数が少ない。 よく検索される組み合せをみると、 「土師ダム サイクリング」「土師ダム マラ…

八千代町のシンボル

旧千代田町の東には旧八千代町(安芸高田市)。 そこで見られる蓋もまた、町章を真ん中に据えてある。ただ、町の花のランがかぶさっている。 「町のシンボルテーマ「森と湖の活き活きタウン」の図案化。湖と町民の和、大空に伸びる森と町の表徴」*1とのこと。 …

千代田のシンボル

合併前、千代田町の頃からのマンホールの蓋。 中心に町章があり、周りを6つのサツキの花がとりまく。 町章の意味は、「町の頭文字「チ」をはばたく鳥に図案化、円は町民の和と団結を表現、伸びゆく町の躍進と発展を象徴する」*1。 蓋の中心だと向きがよくわ…

千代田町の案内図

千代田町の中心部、芸北民俗芸能保存伝承館の前に設置されている「歴史と文化の里 北広島町」の案内図。 地図とならんでひときわ大きく描かれているのが「古保利薬師」。 北広島千代田ライオンズクラブの15周年記念の寄贈による。 昭和48年*1に千代田ライオ…

3町の中心

史跡公園の入口にある中世遺跡周遊マップ。 オレンジ色で大朝町・緑色で千代田町・黄色で豊平町の範囲を示す。 吉川元春館跡や製鉄遺跡が豊平町に、万徳院跡や今田氏・二宮氏の城館跡が千代田町に、駿河丸城跡・小倉山城跡が大朝町にある*1。 そのほか、要所…

海応寺跡

天正14年*1、吉川元春が亡くなる。戒名は「随浪院殿前駿州大守四品海翁正恵大居士」。 ということで没後は「海翁(応)」と呼ばれることに。 (略)海翁御証判之旨遣置候(略)天正拾五年十月朔日 経言 「吉川経言安堵状」 館の西隣に(写真奥の山林)埋葬され、天正…

海応寺の川岸

国道433号を東に、志路原川とともに進むと海応寺に入る。 通りかかったときは川の両岸の工事中で、青と黄のショベルカーが見えた。 南岸には史跡公園として整備された吉川元春館跡*1が広がり、 北岸にも八町馬場・松本屋敷などの遺跡がある。 *1:墓所や海応…

九百日目

志路原との合流点

map:x132.45791y34.719604:map:w450 町道は国道433号と合流し、船峠川はすこし東に離れて志路原川と合流する。 上流から運ばれた土砂も合わさって、「下ヶ原」「志路原川原」などの平地となった。 船峠から北に流れても南に流れても結局は日本海へ注ぐ。志路…

船峠川

「電子国土の地形図」を見ると、町道船峠線の最高地点は485mとなっている。 なだらかなのでどこがそのポイントなのかよくわからず通り過ぎ、 南の志路原方面に流れる川も「船峠川」。 支流あり田畑集落ありで、新庄方面より規模が大きい。 こちらでは町道と…

一文水橋

また馬頭観音のあたりに戻り、すこし南にあるのが「一文水橋*1」。 「いちもんみず」は東に聳える日の山城に関わる地名として伝わる。 又船峠より用水一荷をお城に擔ぎ上れば一匁の報酬金を得たりとて一匁水の舊称今に残る。 名田富太郎『廣島縣山縣郡史の研…

嘉助原橋

馬頭橋からさらに新庄方面に3分ほど歩く。 道路の右手になっていた船峠川が左手に曲る。そこに架かっている橋が「嘉助原橋*1」。 馬頭橋よりやや早く、昭和62年3月に架設された。 この道路がアスファルトで舗装される前、『大朝町史』*2に載せる昭和31年の町…