環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

浄土寺の包丁塚

尾道の浄土寺境内にもある包丁塚。 大聖院のほうは昭和53年から、浄土寺のほうは昭和63年から包丁供養がおこなわれている。

大聖院の包丁塚

宮島の大聖院にある包丁塚も紅葉に飾られる。境内全体が紅葉ではあるが。 白く細長い碑が包丁で、傍らの「包丁のおこり」碑はまな板か。

筆塚と紅葉

弁天の池の奥にある筆塚。 石の白さと中にかざされる紅葉で、薄暗さが弱まる。

色の葉がかざす

七福神の石像や、入口近くの十王堂など、あまり高さのない物のすぐ上を色づいた木の葉が覆うように枝を広げる。取り合わせのある風景は特定の位置から撮られたがっている。

少し高い木

庫裏の表には屋根くらいの高さのソテツが伸び、 鐘楼の脇にはさらに高いケヤキが枝を広げる。 より高く、より目立つのが五重塔。

山林の中の庭

草戸山の中腹と麓に広がる明王院境内。山の上の奥の院なども含めて広くひとつの庭園のようなものと見ることもでき、 境内の中のさらに一部の区域の「庭園」と表示されている場所だけを観賞のための庭と絞ってもいいか。 地図に描かれる丸い庭木の集まりは、…

明王院入口

明王院の山門には山号の額があり*1、 麓の入口には院号の碑がある。 塀の外に区切られた小さな庭の中の大きな石に「国宝 明王院」。石も字も白くて目立たないものの庭園らしさは保たれる。 *1:http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20090301/1235917698

平成13年の寺号碑

参道の上、圓福寺の入口には寺号碑がある。 大覚寺第60世門跡の片山宥雄氏の揮毫。 片山宥雄氏(真言宗大覚寺派元管長、広島県福山市・明王院名誉住職) - おくやみ:中外日報 回りこめる位置なので背面の「南林山釈迦院圓福寺」の略歴も読める。

見上げる上り口

その道の入口は右手に石垣のそびえる崖地で、中段あたりに客殿の名「夾明楼」へ案内する碑が立っている。「けふめいろう」との振り仮名あり、捨て仮名で「上リ口」もあり。

ひなたの境

ちょうどその道を下っている時間に陰が差し始めていて、道に寝そべっていたらひなたぼっこが終わる。民家のいろいろな物の上に乗れば、いま少し日にあたり続けられる。

上下する猫

広い段の参道に手すりがあって上り下りがしやすい。 猫もうろうろしている。 上の段にいたと思ったら擦り寄るように近づいてから下の段へ。 そしてまた近づいてくっつきながら横になった、かとおもったら上に上がって日陰に座る。

安政三年の鳥居

圓福寺へ上る道は幅の広い石畳の階段。 屋根が見えてくるあたりに安政3年奉納の鳥居も構えている。 柱裏面に奉納者名が刻まれている。「堺屋武左衛門」「饅頭屋喜右衛門」「扇屋安治郎」。

圓福寺への寄附

今は地続きになっている大可島。真言宗圓福寺の大きな屋根が遠くからもよく見える。 森下博が「當山再建費」として寄附したのが「金壱壹貳千圓」「田壱町五段歩」。「貳」の「一」の位置は上に。

台座三段

拝殿のある高台の、玉垣近くの見晴らしのいい位置に大きな石灯籠がある。 燈篭自体大きく、それを載せる台石も三層にわたって厚い。上から「大阪」、「元鞆道越町」、「森下博」。とくに肩書きを刻まなくても通じる名前。

壽像銘

参道脇の段上に立つその像は、台座の周りにも石囲いが飾るので背面の銘文を遠目に見る。 その銘文は三段落からなる。「廾五歳獨立シテ藥業ヲ營ム」など、仁丹の成功までの道のりの段。「獨佛兩國政府ヨリ勲章竝名譽賞ヲ受領セラル」など種々の褒賞によりその…

沼名前神社の寿像

没後祀られる人自体少ないので生祠として祀られる人はなお少ない。 それに比べると銅像になって顕彰される著名人はどの地域にもある程度いるので、生前から銅像が作られる「寿像」も珍しくない。 沼名前神社の南側参道の脇にあるのは昭和13年「森下博翁寿像…

平賀源内生祠

その坂をさらに下ると「平賀源内生祠」への案内が見える。 生存中の宝暦14年(西暦1764年)に祀られたということで「生祠」。 手描きの案内の絵は忠実に石四つ。

石囲み

十三番札所は十一番のある参道とは別の参道途中にある。 屋根も壁も、扉以外はみな石。世話人の名を側面に、正面右に「明治三十八年」。

坂から階段へ

(11日の記事に移動)

緑の額

参道途中、医王寺手前にあるのが八十八箇所第十一番で、医王寺境内の太子殿上り口に第十二番のお堂がある。 それぞれ額が掲げられ緑色で「寶珠閣」「遍照閣」と大書。額受金具に額布団があるほうと無いほうと。

坂から階段へ

家や寺の合間をぬって舗装された坂道が続き、 八十八箇所のお堂のあるあたりで少し勾配が大きくなるので階段があらわれる。医王寺の中もまた段になるので階段のような坂道。

太子殿参道の入口

太子殿への参道は県道47号からの分かれ道の坂。 入口脇の石碑には上に大きく「太子殿」とあり、その下に小さめに「明圓寺」「醫王寺」とある。一番奥が重要のよう。

医王寺とその先

さらに広範囲を収めた案内図は鞆の交番近くに設置してある。 背後の山が含まれていても、阿伏兎や福山は地図の外にあるので矢印とともに「To」が付くのは変わりない。 ただ、地図上の山のどこかにあるらしい「太子殿」の名はその場所には無く、「To Taishide…

広げても外

こういったデザインの地図はとても見やすい。 同趣向の案内図が鞆の町の各地に設置されていて、鞆全体をあらわす大きなものもあれば、江の浦近辺のみを示す小さな図もある。 どちらにしても西の阿伏兎はもっと遠方なので道路の上に「To Abuto」と表示される…

矢印のみ

「鞆の浦史跡めぐり地図」には、北は安国寺から南は大可島城跡、西は医王寺までの8箇所の史跡を絵入りで紹介している。 こういった内容の地図では仙酔島や走島は省略されることになり、渡船場と桟橋から伸びる航路のみが矢印となって弧を描く。

5分の航路

鞆の福山市営渡船場の目の前に弁天島・仙酔島が見える。 仙酔島への航路はまっすぐではなく、いったん北へ向かって島の桟橋へ回り込む。それでも5分。

あわせて60分

同じくホームに面して並ぶ看板は地元の病院・衣料・葬祭など。 竹原港と白水港をむすぶ大崎汽船の定期航路は横長の地図が看板になっている。 駅前から竹原港までバス7分または徒歩15分、海上は30分で、大崎上島の歴史資料館まで徒歩15分。

70分

同じ内容の看板を見かけたのが竹原駅(平成20年)。 酒の看板と並んで「竹原←70分→波方」の字が大きい。中四国を結ぶ時間の短さを強調。

同じ表裏

とあるバス停の近くに公衆電話があったころ、ぶら下がる看板が公衆電話の位置を示すとともに中・四国フェリーの広告も載せてあった。 表と裏は同じ内容だけれど、北と南で色の落ち具合がはっきり異なっている。 見かけたのは平成21年の5月。竹原波方間のフェ…

同じ看板

電柱の腹と脇に同じ看板。道順の説明がちょっと細かい。