環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

太田川の大洪水

同じく碑文から。
「元和 寛永 承応 嘉永 明治7年 17年 大正8年 12年 15年 昭和18年 20年の水禍は大きく 特に承応2年の洪水には死者5000人余に達したという」
と、江戸時代以降の太田川の主な水害の起きた年が並ぶ。近世初期に集中している。
さらに前には、慶長12年*1の大洪水で流路が変わって旧流路が今の古川になった。東野・中筋などが新流路によって安北郡のまま西岸に分断されることになった。

参考

修正

*1:西暦1607年