環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

白の誓願

桃園の三人の絵馬*1を奉納したのは「當郡白砂邑」の人。
「當郡」は佐伯郡のこと。「白砂邑*2」は現広島市佐伯区湯来町白砂。湯来町の南部、八幡川上流域に当たる。
「「国郡志佐伯郡辻」によれば、文政2年紙漉163人がおり、当村から漉き出される半紙は諸郡で上品とされた。*3」とある。絵馬で関羽が持っている紙*4にまさるともおとらない質であろうと思いたい。
明治末期、白砂・葛原*5・伏谷*6の三ヶ村が合併して砂谷*7村ができた。当時流行りの合成地名である。酪農で知られる。

*1:前項写真参照

*2:しらさごむら

*3:角川日本地名大辞典34広島県』p446

*4:絹布だったりして

*5:つづらはら

*6:ふしだに

*7:さごたに