環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

説明板諸相 登山道入口

南方からの登山道は大きな説明板が目印。
左には高松城跡の説明、右には大文字祭りの説明。

大文字祭り(高松神社)
享保5年(1720年)に可部の町の大半が焼け野原になる大火があった。可部には火を使う伝統の鋳物業が発展しており、町屋も軒を連ねて密集しているので、再び火を出さないようにと願って、火伏せの神として有名な京都の愛宕神社の祭神である迦具土神をお迎えし、可部の町から鬼門(北東)の方角に当たるこの高松山の山頂近くに高松神社を建て祭った。
 このため、京都の大文字の火祭りと同じような「大」の字の献灯神事があり、この高松山で毎年5月の最後の土・日曜日に大文字祭りが行われている。
 また、この神社には甲冑に身を固めた馬上姿の勝軍地蔵が1体安置されており、この勝軍地蔵も火の守り神として厚く信仰されてきた。
広島可部ライオンズクラブ

文政二年『国郡志御用につき下調べ書出帳』*1の「下町屋村」に、
「一、愛宕祠 一社 梁一間桁一間 瓦葺 福王寺抱  鳥居」とあるのがそれ。大文字のことは書かれていないが。
この場合の「可部の町の大半」は現在の町の範囲ではなく、「丁目 - 看藝累記」に挙げたような、街道沿いの宿場町の方を指す。

*1:1994 可部郷土史研究会