友広神社の鐘は昭和の物で、文政二年の『国郡志御用につき下調べ書出帳』にもそういった施設は載っていない。
同書内の記述から、旧可部町域の神社で「鐘撞堂」「鐘楼」*1を持っている所は四か所確認できる。いずれも八幡宮で、勝木村・南原村・下町屋村・上原村に属する。
村 | 施設 | 付記 |
勝木 | 梁桁九尺 茅葺 | |
南原 | 梁四尺桁一間 | |
下町屋 | 梁一軒半桁一間半 茅葺 | 銘と鋳替の経緯 |
上原 | 梁八尺桁四間 葺 | 銘 |
下町屋村の三入八幡宮の鐘*2は熊谷高直寄進(の再鋳)という由来を持つだけあって、鐘撞堂がやや大きめ。
先に見た上原村の八幡宮の鐘撞堂*3は細長い屋根を持つようで、現在のものとはずいぶん違う。