鏡山城を下りて奥田大池のほとりの道を歩く。
ブールバールをはさんで向いに見える二つの山にそれぞれ山城の跡があり、
東に八幡山城*1、西に陣ヶ平城*2。それぞれ尾根上に小規模な郭群がある。
大永三年*37月、尼子経久が鏡山城を攻略した際の陣となった城であると伝えられているが定かでない。
池のほうが目立つ写真ではあるが。
鏡山城は寛正年間*4ごろから大内氏の安芸国での拠点としてあり、杉氏などの重臣を郡代(東西条*5代官)として派遣し、蔵田氏などの地元の有力者を小郡代に登用していた。
大永三年の郡代は陶興房*6。小郡代は蔵田房信*7。安芸国内の当面の敵は守護武田氏だったが、4月に挙兵した厳島神主家の友田興藤と戦うこととなり、大内氏の軍勢は桜尾城(現廿日市市)攻撃に集中する。
尼子経久はその隙をついて安芸に侵攻。毛利や平賀などを従えて一気に鏡山城を落とした。安芸に初登場して尼子氏の存在感を強烈に印象づけたのち、今度は石見へ進軍し大内氏と戦闘に及ぶ。