五龍城先端の尾崎丸から三次方面を望むと、まっすぐ伸びる道路が目立つ。五龍橋から直進したこの道は国道54号と並行したのち合流する。
その左手に連なる丘陵の、先端近くに「甲立古墳」があり、
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さらに左手に「柳ヶ城跡」があるそうな。
『藝藩通志』の「巻六十八 安藝國高田郡六 城墟」に、
柳城 同村*1にあり、楊柳山又菊山ともよぶ、小山なり、是亦朝家所居といふ、*2一説に朝家より後、數世此に據る、六世の孫、元家より五龍山に移るといへど家系によれば始より世に五龍山に居守せしと見へたりおもふに、朝家常陸より來る初、暫く此に據りしなるべし、
と、採録される。