『三次市史4』と『高田郡史資料編』に依りつつ。
現在の「可愛川(江の川)」のことを「吉田川」と書くのは、上川立・下川立・上志和地といった三次郡の村々に限られ、対岸の秋町・深瀬・下甲立、上流の上甲立・高田原といった高田郡の村々では「大川」や「本川」が使われている。
3河川の合流する三次盆地の三次町・上里*1村にとっては、「上里川(西城川)」「原川*2」に次ぐ第三の河川と位置づけられる。*3
上流の説明に挙がるのは三箇所。現在も江の川本流として扱われる壬生盆地の筋と、現在は簸ノ川*4として扱われる上根・下根の筋、それらが合流した後に通過する吉田の筋。
吉田川 水源は、安藝國山縣郡より出、同じ高田郡吉田を經來る、故に吉田川とよぶ、(略)遂に原、門田の二川と會して、三次の大川となる
『藝藩通志』巻百二十九 備後国三次郡
『芸藩通志』も「吉田川」を見出しとし、吉田から流れるから吉田川であると、理由も明記。
文中にある「門田*5」は、現在の西城川のことで、『三次町国郡志』では「上里川」と書かれ、『上里村国郡志』では「西城川」とある。『芸藩通志』では「西城川」を別名にとどめ、「恵蘇郡、門田村より始めて舟運すべき故に、門田川とよぶ」との理由を記している。