環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

清盛塚と松

同じ案内図中の右隅に吹き出しがあり、「清盛塚」が音戸大橋のそばにあることが図示されている。

そのあたりは、平清盛像や光田庭園展望台あたりからはかすかに松の木が見えるような位置にあり、人工で開削したとの伝説を思わせるような陸続き感が得られる。*1


塚そのものは四角い島状で、向かい合う舞台から塔や松を拝する。説明板には

境内のクロマツは、享保4年(1719年)に一度枯死して植えかえられたとされています。平成11年(1999年)には再び枯れてしまいましたが、新しい幼木が育って、現在まで「清盛松」として親しまれています。

とある。どちらもツチノトの年。
芸藩通志』では松にはとくに触れていない。塚の石造物については、

迫門の口に石をたゝみて、上に石塔を建つ、世に相國の塚といふ、たふ*2四層、凡高六尺、臺座方一尺六寸、
藝藩通志 巻四十 安藝國安藝郡五 古蹟名勝)

とある。「相国」は太政大臣唐名

*1:「日招岩」からは見えない

*2:土偏に右上「合」右下「田」