環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

下調帳の貞丸1号古墳

文政二年提出、南方村の「国郡志御用ニ付下調書出帳」にはこう記されている、という孫引き。

油塚 塚の内に石船と云伝へて長さ七尺、横三尺九寸、高さ二尺、石中、人の臥みたけほどうがちたる石あり、又、近所に右石の蓋とおぼしき石もあり、上代富貴の人の墳墓か*1

この記述を参考にして、前項『藝藩通志』の「古壙」になるのだけれども、そこでの石函(地元の呼称:石船)の寸法は「大約長六尺幅三尺高三尺餘」とあって、三点とも少し違う。測る部位が違うのか測る人が違うのか、はたまた切りの良さが違うのか。
また、近所の「右石の蓋とおぼしき石」は、後に供養塔の台石になるものが転がっていたのか、又は他のそれっぽい平たい石があったものか。すでに「石船」と言い伝えられるほどに、その石棺が蓋を失ってから長い年月が経っていたもののようであり。

*1:「貞丸1号古墳・貞丸2号古墳」『日本歴史地名大系35』平凡社