環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

上根の市


竜山神社や覚善寺のある山手のほうが「市裏」で、県道沿いの平地が「市表」。

藝藩通志から、上根村絵図の一部)
近世後期でいうと、向山村から「三次路」が根の谷を越えてすぐのところに「市場」集落が広がり、社倉や胡社が立ち並ぶ。
明治23年に上根峠の県道拡幅工事が竣工*1し、幅三間となった。それによって「上根の市」の賑わいが生まれたが、大正昭和にかけて鉄道と自動車の普及によって休憩地点としての役割を終えた。

新しい県道ができて従来より以上に人・馬の往来が激しく、旅館・荷車の休憩所、飲食店が建ち並び上根の市と呼び、客馬車のラッパの響き、客を呼ぶ声、馬の嘶き等で大変賑やかなものであったが、大正四年(一九一五)芸備鉄道が開通し、にわかにさびれはじめ、(以下略)
「第五章 近代・現代 第二十八節 運輸」『八千代町史』八千代町.1990


竜山神社境内にある御大典記念*2のコンクリート手水鉢は、「上根市 上組氏子中」の寄進による。

*1:「かくて、広島・松江、広島・浜田両線は明治十七年から沿道住民の動員などによりながら改修工事が進められた。工事は、一部の難所を除いて予定どおりすすんだが、上根の峠などの難工事のため、竣工は同二十三年までかかった。」『可部町史』p735

*2:昭和3年