三次路などと呼んでいた頃は、洞門やトンネルはもちろん無いにしても、江の川ぞいの五龍山麓を通るのは同じで、近世でいうと吉田村・下小原村・上甲立村・下甲立村を経由していく。
それもまた近世の道としては新しい方で、
一、土地古今変成之事
五龍山在城の時は
往還道今時の市中田口(当村小名)妻坂峠是より吉田村へ相通し
今時五龍山麓小原吉田へ相通じ候大道は
天正年中広島へ宍戸君御遷城の已後の儀にて
当村西北郷の者今に古道を往来仕候*1
と、「国郡志御用ニ付下調書出帳」*2の上甲立村に云う。
妻坂峠を通る道を地図で示すとこうなる*3。
同様に文政二年の末兼忠彰「弔古誌」*4も、
五竜山ノ南麓川端ノ往来ハ中古ヨリノ事ニテ昔ハ山根川ニ入リテ通路ナク往来ハ今ノ町ノ所ヲ通リ賀屋ノ方エ出山ヲ越シ吉田エ出シ由ナリ
とあり、今の道は「中古ヨリ」の新しい道であるので、昔からの「市」・「町」は山を越える方の道沿いに立ち並んでいた。