環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

日野氏紀徳之碑

深瀬交差点をさらに三次方面へ。左手に枇杷の木が茂り、国道に面して記念碑がそびえている。

題字「頌徳碑」は浅野長勲*1により、文とその書は塩谷温*2による、当地の資産家日野易造を称えた記念碑。先祖の武将のことに始り、京大や欧州視察などなどに触れられている様子*3

web検索(google:日野易造)では、『広島県統計書』の中の「貴族院多額納税議員互撰者」のxlsファイルが上位にくる(大正7年など)。ただ、大正10年の同項目のファイルでは「西野易造」となっていて、他の人名も前年の表とくらべて字の違いがいくつかある。
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昭和10年の建立で、裏面に大きく「昭和十年十一月 高田郡甲立町 深瀬區建之」とある。「甲立町」は大正15年に町制施行していて、のちの甲田町の北半分にあたる*4が、この頃は深瀬に接する「秋町」(現三次市)も含んでいた。
その左下には「鴛城伊藤謙*5書  廣島市小町 石匠中津亀吉刻」とある。

*1:「從一位勲一等侯爵」

*2:「東京帝國大學教授正四位勲二等文學博士」

*3:写真からあまり読み取れず

*4:南半分は小田村http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20090130/1233319346

*5:伊藤鴛城:漢詩