環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

弘住神社の金毘羅神社

川内・東野とは太田川を挟んで東向かい。
口田南の芸備線沿いに鎮座する弘住神社は、さきに触れたとおり江戸時代には「北ノ庄」五ケ村の氏神として祀られていた。


『文政二年高宮郡国郡志御用につき下調べ書出帳』*1に「末社 一軒」として「金毘羅」の名が見え、祭日は「十月十日」とある。現在では6月最後の日曜日に「夏越祭」が行われる*2

弘住神社正面の鳥居手前に階段があり、当社宮司の筆による「金毘羅神社」の碑(「平成八年丙子」「皇紀二六五六年」「西暦一九九六年」を併記)の先に祠が見える。

*1:可部郷土史研究会.1994

*2:『石仏石神等民間信仰調査報告』p173 同書では「琴比良神社」