環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

村界橋

県道瀬野呉線が大榎のあたりでカーブして、「村界*1橋」の架かる「海上川」を境に熊野町となる。 熊野町は大正7年に熊野町となり、熊野跡村は昭和49年に広島市阿戸町となるが、「村界」の名はそのまま。 *1:そんかい

ほたるの里

香路山の南麓で県道と熊野川が交差する。橋の名(とバス停名)が「山崎橋」。 山崎橋から下流方向を見ると「谷迫川ホタル」と白字で書かれた木柱が立っている。 阿戸町の案内図にも、柱の見た目は違うけれどもホタルの絵とともに載っており、環境庁の「ふる…

熊野跡の河川

その「雨池井手川筋道筋控帳」には本川とその支流5本について川の長さと幅が記されている。幅は「概○○間」と、だいたいの寸法。 河川名 長 幅 本川 44丁22間 11間 海上川 8丁 2間半 かけうら川 30丁 2間半 押谷川 16丁 3間 長谷川 13丁 2間 大谷川 10丁 2間 …

熊野川(熊野跡川・大川・本川)

熊野村では「北川」で、上瀬野村では「荒谷大川」と書かれる熊野川が、同じ文脈*1の熊野跡村ではどうなっているのかは分からない。 けれども、併せて藩に提出された村絵図の控*2を見ると「大川」とある。 多くの支流を集め、村内の中央を流れる最も大きな川…

熊野川(北川)

熊野川を遡って熊野跡を越えると、残る上流域は熊野町。 新宮・城之堀・初神といった熊野町北部の平野を潤す、には水量が少ない*1。 『文化度国郡志』の熊野村*2に「北川」の名で載っている。 一 北川 川上当村三谷山谷合ヨリ流出、熊野跡村通り里程五里、海…

熊野跡への道

現代の車道として「鳥居橋」や「熊野跡路」といった名が使われ続けている。 もちろん年季の入った橋とはいっても近世のものよりは新しくて、道の広さも頑丈さも段違い。 同じく『文化度国郡志』に「土地古今変改之事」という部門で、寛政八年辰年の洪水につ…

平山神社と荒谷川

荒谷橋の下手に、同じ形状の「鳥居橋」が架かっている。欄干に「通」「学」「路」とあったり、横断旗が置かれていたりで、「車両進入禁止 7:00〜8:30」という措置がとられている。 鳥居橋には「宮の前」バス停があり、東の山に向かって「平山神社」の参道が…

熊野川(荒谷大川)

水量が期待できない、そんな熊野川。 熊野・熊野跡・上瀬野と流れるなかで、上瀬野では「荒谷」の平地が川沿いの集落としては広い。 なので、『文化度国郡志』の上瀬野村*1には「荒谷大川」や「荒谷川」の名で書かれている。「大川」は村内での大きな川二つ…

官立綿糸紡績工場跡

墓苑からさらに下流へ。神立バス停の次が高下橋バス停で、その手前あたりに「官立綿糸紡績工場跡」の説明板がある。 細かい住所は「広島市安芸区瀬野川町大字上瀬野字荒谷」とある。指定された昭和15年の頃は「瀬野村」に属する。 広島市文化財団文化科学部…

瀬野墓苑前の看板

阿戸町と上瀬野の境あたりで熊野川は湾曲する。 そのすぐ下流に架かる橋は瀬野墓苑の入口をなす。 県道沿いには割れたバス停「瀬野墓苑前」があり、 付近には「川をきれいに 町を美しく」と呼びかける看板が設置されている。 道路と川との間に草木生い茂って…

対岸の横断幕

熊野川は安芸郡熊野町に発して*1、熊野跡を経て瀬野川に注ぐ。 川と並んで通るのが県道174号。阿戸町中心部から少し北のあたりに、「ゴミのポイ捨て追放運動実施中」という横断幕が見える。 Googleのストリートビューで確認すると、幕のついていない頃ながら…

河岸の看板

川沿いのそこかしこに看板が設置され、「川をきれいにしましょう」と、ゴミを捨てないよう呼びかける。 そこの住人代表といったふうに、魚の絵があったり、カエルが起用されたりする。なぜかどちらも看板を見る人に視線を向けようとしない。

堤防の魚

堤防・港湾でよくみかける注意看板は、特定の場所での釣りの禁止であったり、海にゴミを投棄しないことであったり。 釣りの禁止を示すのに、細かい描写はいらないので、釣られる魚の姿もシンプル。 種類を問わず棄てられるゴミが、雑然と事細かに描かれること…

歓迎の絵

豊浜大橋を下りて大崎下島の周回道路に合流する地点で、 左に見えるのは「ゆずりあう 心で走る 豊浜路」の標語で、左折した先は大浜・沖友方面。 右の角には「香りと味と輝きのまち」という豊浜町の歓迎の看板。上部の図案にはマダイと海島とネーブル(的な何…

豊浜町の蓋

そんな海なので、マンホールの蓋のデザインには、アビと鯛が使われる。 奥に見える岩礁はたぶん雀磯。多分。