環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

友貞神社

旧国道に面する八幡宮。「友定」とも。
所在地の「上中野村」は、明治に近隣の村と合併して「中原村」になる。
昭和17年、「中原村」は、村内に島のようにあった「可部町」と合併して新「可部町」となった。



「友貞神社」で検索すると、昭和46年発行「広島原爆戦災誌」の3巻が引っかかる。PDFで。
置いてあるサイトは「平和データベース」。
該当箇所は「第七項 広島管区気象台」。

二、疎開状況
(一)戦況苛烈を加えるに及んで、被爆破壊の場合を想定し、左の器材・書類などを、安佐郡可部町役場の了解を得て、同町友貞神社(当時の役場から北西約五〇〇メ-トル)の建物内に疎開した。
一、気象観測器械一式
一、無線電信受信機一式
一、観測用紙・帳簿・天気図用紙・規程類一式
一、当座に必要とする事務用紙・切手類
(二)重要書類・気象原簿・記録は、気象台東側の横穴式防空壕に移し、爆撃や火災に対処した。
(中略)
四、避難計画
気象台が爆破された場合の応急作業場として、前記物資疎開先の友貞神社に予定していた。