環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

道の下の川

そのようにして峠を越えないルートが新たな往還として整備される。すぐ下に大川(江の川)を見下ろす当時の姿は、勿論今のような堤防の護岸もなく、智徳橋のような長大な橋もない。

一、本往還道
西下小原村境より北下甲立村境迄十二丁五十九間、
当村の内峠無御座
此道側南麓大川筋深き渕在之
古来夫婦岩呼来候岩河中に有之
一丁余下も至て渡舟在之
当所より世羅郡甲山駅 
夫より三原尾道えの通路に御座候*1

と、上甲立村の「国郡志御用ニ付下調べ書出帳」*2は主要な交通路をこのように説明する。合間に「夫婦岩」にも言及しており、目印として特徴ある岩だったことを伺わせる。
対岸の高田原村では、川の部で「女夫岩」に言及がある。

一、川二筋
大川水上山県郡ヨリ三次筋江流る幅凡五拾間位、女夫岩と云大石川中に有り
小川水上大土山ヨリ出ル幅凡十二・三間位当村ムクゼント云所にて大川へ流る

*1:改行を加えた

*2:高田郡史資料編』