環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

中川・西條川

和泉橋の上流数百メートル、黒瀬川の本流は西へ向きが変わるあたりに、北東から流れる支流「中川」が合流する。*1 この支流もまた流域の村では「西條川」として記された。上流域にあたる吉行村の『国郡志御用書上帳』*2に、「一 西條川 村内ニ而大川ト唱申候…

和泉橋

黒瀬川が西条の市街地で湾曲して南へ向きを変えたあとのあたり、現在の西条中央と西条町御薗宇の間を結ぶのが「和泉橋」。 親柱が平べったくて、橋名は内側を向いている。橋の側面のプレートによって「1972年3月」に西条町によって造られたと分かる。東広島…

西条川・黒瀬川

現在では上流下流ひっくるめて「黒瀬川」のところが、『藝藩通志』では「西條川」の項目名になる。 西條川 源は、並瀧寺池より發して、南に走り、西條庄の内篠、正力、米満、諸村を經て(略)また西南黒瀬庄諸村を經て、黒瀬川とよぶ、郷原と廣との界にて、…

広の三角州

賀茂郡広村の『国郡志御用書上帳』*1(文政二年)では、村内の川を「大川壱筋」のみとして、その大川が村内で枝分かれして海に注いでいるとする。 郷中ニ而二筋ニ分レ、又三筋ニ分レ末海中ニ入、西を本川と言東を中川と言、 その「本川」(広西大川)と「中…

広大川(黒瀬川)

二級河川黒瀬川は、東広島市の西条盆地に発して黒瀬を経て、呉市広で瀬戸内海に注ぐ。 先の案内図では「黒瀬川(広西大川)」と表記される。『角川日本地名大辞典34』では、黒瀬川下流の二級峡以降の7.5kmを「広大川」というとある。 広の市街地を流れる部分…

新広駅周辺案内図

JR新広駅のロータリーに設置されている周辺案内図。 設置場所に対応して、東西を上下として表示してあり、駅周辺の市街地(広西大川と広東大川の間)を中心とする地図。隣の安芸阿賀駅と広駅を含まないギリギリの範囲でもある。 左下には「呉市全図」として…

阿賀IC予定地

広大橋の西詰、先小倉交差点の北に大空山の丘陵が迫る。 黒瀬川に面する山肌はすっかり養生され、「東広島呉自動車道」終点附近の工事が進行中。阿賀・郷原・黒瀬・馬木・下三永・上三永・高屋を通る国道375号の自動車専用道。 国土交通省 中国地方整備局 広…

広大橋

国道185号は黒瀬川を「広大橋*1」で渡る。昭和50年竣工。 細い歩道と、さらに細い橋名板スペース。 上りと下りで橋が分離しているので、間も含めて広大な橋となっている。 *1:ひろおおはし

先小倉

阿賀の新開地の東には黒瀬川(広西大川)が流れていて、広と阿賀の境をなしている。 昭和30年の水害によって閉園するまで「先小倉*1遊園地」があり、呉市電沿線の行楽地として賑わっていた。「阿賀町の歴史マップ」*2にも紹介されている。 昭和8年発行の『呉…

豊栄新開土地区画整理事業

明治四年の碑の後ろには、昭和47年建立の「呉都市計画豊栄新開土地区画整理事業完成記念碑」がある。 背面の碑文は 豊穰な美田として私達祖先の干拓した豊栄新開は、昭和三十年九月第二十二号台風により一瞬にして荒廃に帰し、 から始まり、昭和36年の土地区…

豊栄新開

近世の干拓によって阿賀の土地がすこしずつ広がった。文化6年には小倉新開、安政元年には「豊栄新開」が完成。 豊栄公園の入口近くに立つ石碑は明治四年の建立(のものを移築)。 豐榮新開經營 安政元甲寅年 五月八日干潮時 豊栄新開三十町余の開発を顕彰す…

豊栄

昭和43年に呉市広町の一部が豊栄一丁目〜三丁目となり、昭和48年に阿賀南となることで住居表示としての「豊栄」は無くなるけれども、橋の名や公園の名に残る。 見上げると「ホオエイ」だったりもする。 参考 『角川日本地名大辞典34』

豊栄橋

読みは「ほうえい」。橋を境に上流側が「阿賀中央」で、下流側が「阿賀南」となる。 幅の広い橋で、両側に歩道がある。すぐ下流の農林橋と同じく水管橋が並んでいる。 水管橋の注意書きは赤字部分が消えてしまっているけれども大意は伝わる。

赤いほう

豊栄橋のすぐ上手の水門まで仕切りの塀は続いていて、そのぶん上流の川幅が狭まる。 その上にひょいとアオサギ(前項とは別の)が飛んできて着地、 神社のそばにまわりこんだのは近付きすぎか、飛び去っていった。写真がブレていても赤い脚は目立つ。

浅いところ

農林橋からすぐ上手の豊栄橋のあたりにかけて、川底を区切るようにコンクリートが筋をなしていて、東岸にはボートが係留されていたり。 その筋のくぼんだあたりを少し水が浸っている。そんな時間帯。 鷺がたたずんで魚を探すのにちょうどいい場所で、人が見…