環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

三篠の「往来安全」

横川駅の北のあたり、住宅地の只中にたたずむ地蔵尊と道標。大きな字で「往来安全」とある。 広島から山陰方面への街道沿いであったので、側面には 出雲大社エ四十一里 石州濱田エ二十五里 可部町エ四里 という三箇所の里程が示される。 雲石街道?(堺町から…

筒瀬の坂道

ゴルフ場の合間を右へ左へカーブしつつ北東へ抜けると真っ直ぐの下り坂になる。 県道と筒瀬川の接近するあたりからゴルフ場手前までの数百メートルに登坂車線が設けられている。標識に「はやい車」「おそい車」との言葉で指示してある。 その区間の中ほどに…

ゴルフ場をよぎる県道

県道はグリーンハイツをすぎて北東へと下っていく。 道の両側がゴルフ場の敷地なので、陸橋が県道を跨いでいたり、鉄骨とネットで飛んでくるボールを防いでいたりしながら、くねくねと曲がりつつ筒瀬に至る。 その下り道は安佐北区に入ったあたりなので、電…

弘億駐車場バス停

路線バスの方向転換場は安東五丁目、弘億団地の北口に位置する。バス停名は「弘億駐車場」。 広島交通 路線バス 毘沙門台・弘億・山本・春日野・川内方面 時刻表 運賃表 そこに貼られている時刻表は四種類。「弘億団地、安東駅経由、各方面行き」「毘沙門台…

ループ橋の端

四隅の親柱には橋名が横書きで取り付けてあり、漢字表記が二箇所とかな表記が二箇所。かな表記のほうは離れた筆画が多いためか、「たい ループきょう」と、「た」が壊れかけていたり「のさこ」の三文字が失われていたりする。 歩道が無いので、両端に急カー…

鯛之迫ループ橋

鯛之迫川沿いの道路を登りつめたところは、「←動物園・上安方面 →毘沙門台方面」との案内のある交差点で、標高148m。西側(左手)はサンハイツの、南側(右手)は弘億団地の最奥部に通じる。 交差点の先に見える高架が「鯛之迫ループ橋」で、正面の道から時…

十二年の碑

その説明板の背後、桜の木の傍らに立つ石碑には、 支那事変記念昭和十二年十月十七日鯛之迫男女青年団建之 とある。1937年7月に日中戦争が始まり、十月半ばは上海での戦闘の終わり頃。 似たような「記念」には、安芸区矢野の尾崎神社*1狛犬に「大東亜戦記念…

2000日目

安東の佐信神社

安東六丁目の範囲は鯛之迫川とその西側丘陵一帯を含む。丘陵には安田女子大学や田中山神社*1、佐信神社の敷地が含まれる。 佐信*2神社は大学の南側、丘陵先端の墓地に隣接する。南西部への展望が開けているので石の腰掛けも置かれている。 神社の略歴を記す…

安東の鯛の迫川

二ノ宮八幡や安東小学校の西、弘億団地の向こうの谷を流れるのが「鯛の迫川」。 道路の脇を流れる細い渓流で、安東六丁目の棚田を潤している。西の丘陵は安田女子大学とサンハイツ。 川沿いにところどころ見られる、安東小学校児童による看板によって、蛍の…

二ノ宮八幡の前後

拝殿手前にある大きめの石灯籠は文久三年(癸亥)のもので、「南部山氏子中」とある。 山の麓を辿っていくと、安東横断歩道橋のすぐ先に安川が流れ、「南部山橋」が架かっているのはすでに見たところ*1。横断歩道橋は通学路と参道を兼ねたような存在で、神社…

二ノ宮八幡の段上

拝殿の真正面に向いている階段は、大正三年に整備されたもの。手すりは近年のもの。 「木々に覆われ」と書いたけれども、もっぱら竹が両脇を挟んでいる階段。 段上に上がると左手が桜並木。さらに先に二つの段があって、そこへの階段二箇所も一体のもので大…

二ノ宮八幡の斜面

安佐南区安東の二ノ宮八幡神社の場合。 社殿のある丘陵先端にあがるためには、西側の麓から擁壁の合間の坂を伝って正面に向かう。 正面に至ってから上は真っ直ぐの階段となり、階段の両脇は木々に覆われているので、麓の市街地を見下ろせるのは曲がり角の高…

石鳥居の先の手すり

木の鳥居のすぐ奥に昭和34年の石鳥居が控えていて、こちらも「八幡宮」の額がある。 そこから先の参道は右に曲がり、山腹に取りつきつつ階段をあがる。 手すりの下の急傾斜に木々は無いので、麓の平野がよく見える。江の川の向こうは三次市川立。

深瀬の八幡のふもと

甲田町の北部、深瀬地区*1の丘陵先端に位置する八幡宮。民家のすぐ背後の高まりなので、国道からも参道が見える状態。 参道がはじまってすぐの位置に木の鳥居がある。前項と同じタイプながら、細身で広々している。しめ縄も柱に沿って垂れ下がっているので、…

八幡宮の木の鳥居

国道に面した石段を少し登った所に木の鳥居が建っている。 左右の脇にそれぞれ「鳥居親柱一対」の奉献が昭和二十二年、「小柱一対」の奉献が平成四年と書かれている。他の部材も別々の時期だろうか。 扁額の「八幡宮」。八の字が鳩の向かい合う形なのが分か…