環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

長濱神社の両部鳥居

宮島桟橋から西、包ヶ浦方面へすぐのところに鎮座する長濱神社。 赤い鳥居は浜辺に立っていて、社殿との間には県道が横切っている。 陸側(上画像)と海側(下画像)の両方に「長濱神社」の額がある。書体にとくに違いはないけれども、それぞれ海の神の好み…

沼名前神社の「東濱中使」

鞆の沼名前神社には多数の石造物が奉納されていて、いろいろな個人や団体・職業がこの港町に関わっていたことの現れとなっている。 参道の石段を上がってすぐの標柱や玉垣に「東濱中使連中」の名が見える。玉垣正面の方では左から払う方の「濱」で、標柱側面…

明星院の「南濱」

東区二葉の里の明星院。境内には近代に建てられた顕彰碑がいくつも立ち並んでいる。 前面に大きく「南濱香川先生碑」の独特の筆跡が目立つのは侯爵浅野長勲の揮毫。 ここでの「濱」は中央の「少」部分を直線に組み替えた異体字の一種。左への払いが違う位置…

「桂濱隧道」

倉橋島の県道が通る「桂濱隧道」は、とても短いトンネルで道幅も狭いので、車が通り過ぎないうちに足早に通り抜ける。 トンネル入口上部両端に「桂濱隧道」が見え、西口近くには池田勇人揮毫の「桂濱隧道」もある。たぶん「浜」より書きやすい。

宮下川の大濱橋

仮名遣いの新旧だけでなく、変体仮名のバリエーションも組み合わせると、相当な種類の組み合わせの表記がありうる。 呉線に沿う県道31号が宮下川を渡るところには「大濱橋」が架かっている。 反射板が追加されつつ古い親柱が残っていて、平仮名表記は「おほ…

多治比川の橋名板

同じ川に架かる橋でも、「かわ」もあれば「がわ」もある。新旧があるというものでもなく。 多治比川に架かる「研屋橋」*1では「たじひかわ」で、合流点近くの「港橋」では「たじひがわ」。 もし実際の発音で「たじいがわ」になるとしたら、あえて「たじひか…

添えられた濁り

という、橋名板の表記に従うと「みやげかわ」だけれども、実際に発音するとすると案内図のように「○○Gawa」。 そんなふうに、橋名板では濁点がつかないことが多いので、「矢野橋」の平仮名プレート「やのかわ」に「゛」を勝手に付け加えたりするような落書き…

矢野の宮下川

その駅周辺図内の地名には英字・簡体字・ハングルも併記されている。「小学校」や「駅」などの施設の種類をあらわす言葉は意訳され、「矢野」などの固有名詞部分は音訳される。 矢野駅の近くにそそぐ「宮下川」*1の場合、「Miyashita-Gawa-River」「宮下川」…

矢野駅前の案内図

平成19年から20年の矢野駅橋上化工事など*1によって、駅前の設備も更新された。 駅周辺の平面図は左上を北に向けて、矢野川と宮下川の周りに広がる市街地を収めている。さらに遠方の「絵下山」までは「6km」とあり、下段には広島城などの市内中心部の施設の…

矢野の出雲神社

矢野駅前にある「矢野史跡案内図」では、「水害之碑」は載っていないけれども、隣接する「出雲社」は図示されている。 社殿に掲げられている簡潔な由緒書によると、出雲大社から勧請して「矢野驛南麓」に祀ったのが大正6年。現在地の「神崎」に遷座したのが…

賀茂郡の熊野跡村

その「水害之碑」の台座には石工の名が見える。 「賀茂郡熊野跡村」とある。熊野跡は現在の安芸区阿戸町(昭和49年から)。昭和26年に賀茂郡から安芸郡に村の所属が変わっているので、石碑の明治42年4月の頃は賀茂郡に「熊野跡村」と「内海跡村」*1があった。…

水害之碑(安芸郡矢野村)

安芸区矢野の中心部を流れる川は、宮下川と矢野川の二本がある。 明治42年建立の「水害之碑」は、町の東部の支流を集める「矢野川」に架かる矢野橋のたもとに立っている。明治40年の水害についての記念碑。 『新修矢野町誌』には「第四章 社会生活」の「第二…

えの宮公園の水害記念碑

畑賀など瀬野川流域だけでなく、府中町でも大きな水害となった。 えの宮公園内の昭和19年建立「水害記念碑」。題字は法学博士正木亮。この翌年に広島控訴院検事長となる*1。 「大正十五年九月十一日前夜半來豪雨アリ榎川其他ノ各河川氾濫シ堤防決潰三千五百…

水害記念碑

砂走踏切のそばの天神宮境内に立っているのが「安藝郡中野村下中野水害復舊耕地整理組合」による大正15年の「水害記念碑」。 題字は天野雨石。安芸区矢野の「縣社尾崎神社」碑*1裏面と同じ。 *1:http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20090823/1251031178

鉄橋の東西

砂走橋のすぐ上流側には山陽本線の鉄橋が通っている。両岸は畑賀一丁目と中野一丁目。畑賀を通る県道84号は「畑賀JRアンダー」として線路の下をくぐっている。「大雨時冠水注意」の標識がある。東の中野側には「砂走踏切」が置かれている。 大正15年の畑賀川…