環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

旧東郷邸

呉市の入船山記念館。庭の中にある「旧東郷邸」は宮原村(現呉市)にあったものが移築された。 東郷平八郎が呉にいた海軍大佐時代の居宅の地図が掲示されていて、麓からの道は「東郷坂」と書かれている。

松阪家住宅

同じく町並み保存地区にある「松阪家住宅」は昭和60年に市指定の重要文化財。 通りに面して市教育委員会の碑がある。 松阪邸 建物は頼山陽と直接の関わりがないけれど、平成20年、伊丹市の柿衛文庫から「台柿(三代目)」が移植され、「頼山陽遺愛の台柿」の…

竹原書院跡

「史蹟 塩谷道碩先生邸址 寛政年間竹原書院址」の碑があるのが竹原市歴史民俗資料館。この建物そのものではない経歴ながら、この場所自体に強い意味づけがなされている。 現在の建物としては昭和4年の竹原書院図書館に始まる。

戦後の史跡

その詩碑建立のきっかけの史蹟指定とは別の、昭和32年に県の史跡に指定されたのが、現在の「褚惟清旧宅」。 外に説明板があるだけでなく、詩碑の傍らにも県史跡の碑があるのが詩碑の補足説明のようでもある。

昭和八年の線刻

頼惟清旧宅内には山陽45歳のときの詩が石碑となっている。 詩碑の建立は昭和8年。竹原史談会により「今茲廣島縣以頼山陽先生父叔之故宅定為史蹟」ことを記念してのもの。 正面に一つ、背面に二つ彫り窪められた四角。小さい四角には、それらの加工・刻字を施…

銅板の字

頼山陽広場*1に座像があり、その説明板にも「朝日山」の漢詩と山陽の略歴が載っている。 台座の各面に銘板がついていて、題字と詩は揮毫をうけた形で大きく。詩の訳・発起人名は規格通りの明朝体。大きな板の「頼山陽先生座像建立寄贈者」は細い線で刻まれた…

朝日山の詩

その隣の看板には山陽(久太郎)九歳の時の作「朝日山」が載っている。 上朝日山去手欲摩蒼穹 山路宜匍匐恐衝廣寒宮 賀茂川を挟んで西にそびえる朝日山(454.1m)を詠んだ絶句とその現代語訳。こちらにも「ゴミは、持ち帰りましょう」が添えてある。

鉄塔と注意書き

送電鉄塔は貯水池以上に身近な施設ながら立ち入れない。当然ながら。 竹原市街地の少し北、変電所近くの鉄塔にて。 柵の中に入らないように、または鉄塔にのぼらないようにという注意書きが平仮名とイラストで目に付く位置に。 だけでなく、「ゴミは、持ち帰…

貯水池と書いてダム

湖畔にはほかにいくつもの注意看板がある。水位の変動が大きいことから、その変動範囲内でのキャンプや遊泳を禁じることも明記されている。 文中の漢字にはすべてカタカナの振り仮名が振られている。「貯水池」には「ダム」と振られる。見ようによっては「貯…

聖湖畔

三段峡上流の樽床ダムで出来た貯水池「聖湖」は北の湖畔がキャンプ場。 満水区域の面積1799k?で、満水位はEL*1750m。最低水位だとEL733mとなり、水際の位置が大きく変わる。満水位の位置に説明板が設置されている。 *1:海抜標高

池のほとりの注意書き

池の大小はさまざまあるが、そのほとりに近づきすぎたら危ないのはどこも同じで、遊歩道のある池では特に、落下しないように注意する看板は強調される(前項)。 有料の釣堀のように、会員以外は使ってはいけないという注意がまずあって、あわせて不用意に遊…

池のほとり

池の周りに道があれば必ずウォーキングコースに設定されるわけではないけれど、とくに設定しなくとも自然と散歩道になりランニングコースになる。 川沿いの道とちがって池を縁取る道は交差点に遮られない。 公園の中の池*1や大学の中の池*2のような場所なら…

八本松ランプ橋

七ツ池を西条バイパスが跨ぐ。 その両脇の橋は、バイパスの上り下りそれぞれのランプであり池の両岸の行き来ができる車道でもあり歩道でもあり。 東の丘の上の団地と西の小中学校の間の通学路でもあり。

七ツ池の西

南北に長い七ツ池の西を県道が通り、東の一帯は住宅団地に。 団地全体には住居表示が実施されて「八本松南」となっていて、西岸北部の美術館や公民館、中学校もその範囲に含まれる。

合併記念之庭

県道がバイパスと交わる手前に美術館と公民館がある。 東広島市立美術館は昭和54年開館。概要の紹介文に「広島県内で最も古い歴史を持つ市立美術館」とある。 東広島市立美術館の概要 - 東広島市公式ホームページ 表の庭が「合併記念之庭」で、記念碑建立が…

駅から原方面

八本松駅のホーム(広島方面乗り場)に「のりかえ」の案内看板がある。(反対のホームには名所案内がある) のりかえ JRバス西条線 広島大学 原 方面 CHANGE HERE FOR SAIJO LINE(BUS) HIROSHIMA-UNIVERSITY HARA 広島大学方面への路線バスがあるので*1その…

馬木八本松線

その反対側、広大西口を通っているのは県道67号「馬木八本松線」。 八本松駅前からの距離は6km*1。もちろん西条駅との距離のほうが近いけれど、徒歩でも2時間とかからないのは意外と遠くない。 八本松周辺の案内図にぎりぎり西条駅を載せないことによっても…

広大通り

大学の北口に通じる道がブールバールで、東口に通じる南北の道が「広大通り」。 大学の四周のどの道も「広大通り」っぽくはあるけれど、この通りだけがその名前であることによって、近隣のアパート名に「広大通り」を使える有利さが少しある。

西条のブールバール

西条駅と広島大学を結ぶ目抜き通り「都市計画道路西条駅大学線」は単に「ブールバール」の名で定着している。 普通名詞では落ち着かないためか、「ブールバール通り」とか「学園ブールバール」のように付け足されることもある。

広島の駅前通り

広島駅南口正面の駅前大橋からまっすぐ伸びる道が「駅前通り」で、中区の吉島通りに接するところまでの区間。 そこまで遠いと「駅前」っぽくないものの、途中の平和大通りとは潜って交差しているので分断されている感じは薄まる。

平和大通りとの交差

市道比治山庚午線(平和大通り)のように幅の広い道路は、それと交差する道を分断する。路面電車の線路があればどうにか連続性を残すが横断歩道の設けられなかった細い道は南北で別々の道になる。 「舟入通り」と「寺町通り」の市道横川江波線のように、南北…

猿猴橋通りバス停

橋が通りの名になって範囲を広げると、さらに生まれる派生地名がぽつんと小さな点になる。 通りの名がバス停名になるということは、その通りをなぞって通る路線ではなさそうで、平和大通りほどに大きな道でもなさそう。

神田橋通り

川に沿った通りの愛称には「二又川通り」「京橋川通り」があり、京橋川に架かる橋の延長の通りには「工兵橋通り」「牛田大橋通り」「神田橋通り」の愛称がつけられた。 「神田橋」の歴史は古いものの*1、元々の位置とは異なっていたり、元になった神田神社が…

京橋川通り

京橋川沿いの道には「京橋川通り」の愛称がついている。川全体にかかっていないし京橋の架かる所でもないうえに、地図によっては「猿猴川」と表示されたりする。 牛田地域を流れる部分は「神田川」とも呼ばれていたと説明文にもあるが、神田川通りがいいかも…

広島ビッグウェーブ通り

今では「浄水場」方面と呼ぶより「ビッグウェーブ」方面と呼ぶことが一般的であるものの、浄水場関連の施設がすっかり無くなったわけでもないので、平成3年以前を知らなくても浄水場跡であることは知られ続けることになる。 隣町の饒津ガードあたりから牛田…

牛田の玄関

牛田本町三丁目には広島駅からのバスと八丁堀からのバスがやってくる。三丁目だけの街区の案内図にバス停が3箇所あらわれる。 西の牛田新町方面、と書くよりは「牛田浄水場」と施設名を書くほうが案内としては親切か。さらにその先の戸坂・高陽を載せるかど…

駅から近い

広島駅前のバス停案内図では、地図外の目的地は路線バスのスケールに縮まる。 特に北口から向かう方面は限られているので、「牛田」や「愛宕」といった至近距離の町名が使われる。

「駅」が近い

大きな縮尺でこまかな地形や街区をあらわす地図上では、地図にのらない西方面を「至尾道駅」や「駅前」と書き、 東方面を「至松永」や「至長江口」と示してある。その場所自体が尾道市内ということもあって「駅」を付してある。「駅」の有り無しで距離感も変…

尾道の東西

尾道から見ると、山陽本線にしても国道2号にしても、東は福山方面で西は広島方面という表現が一般的なようで。 福山にくらべて広島が遠すぎると感じるようなら、西を「三原」方面とするのがちょうどよいか。

方面の名

呉線の駅で方面別の乗り場が分かれているとき、同じ方向でも「呉方面」(川原石駅)とあったり、「広・三原方面」(かるが浜駅)とあったりする。大きな駅を出すだけなら「呉」だけで済むものの、広まで行く列車が多いなら「広」としておくのが慣れない人に…