環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

京浜国道の描写

国道2号を東へ、さらに東へ行ったあたり*1

職業的作家の大多数は都会に住んで、都会的な文学を生産している。従って、文学における自然の範囲は、街頭、公園、近郊に多くとどまっており、あるいは通俗小説の場面としては落すことのできない近代スポーツの背景として北国の雪景、またはドライヴの描写としての京浜国道がとり入れられ、いずれにせよ、大部分享楽的消費的生活雰囲気との連結におかれている。
宮本百合子 自然描写における社会性について

ということで、「ドライブコースの始祖」こと「京浜国道」の描写六例を以下に挙げる。

 昭和九年四月一日の午前十時頃、神奈川県川崎の警察署へ新聞記者が五六人集まって、交通巡査から夕刊記事を貰っていた。
 それは一寸(ちょっと)聞いたところ、極めて簡単明瞭な交通事故であった。
 その早朝の三時頃、京浜国道川崎市の東の出外(ではず)れでトラック同志が衝突した。
夢野久作 衝突心理

中仙道の板橋方面、甲州街道の柏木方面、奥州浜街道の千住あたりを極力捜したのであるがいかに場末と雖も、資本金三百円をもって開店し得るような、街道に沿うところに、そんなささやかな貸家はない。しかし懸命になって捜し歩いた。とうとう、大井町の鮫洲の近くで一軒家を見つけた。京浜国道に沿ったところに、小料理屋が居抜きのままで譲るという。
佐藤垢石 烏惠壽毛

あたみへの直通道路京浜国道の延長のイギその軍事的性質
宮本百合子 大衆闘争についてのノート

今から十年余も前の四十前後には、一時ぐれていた時代もあって、ネオンの光を求めて、そのころ全盛をきわめていたカフエへ入り浸ったこともあり、本来そう好きでもない酒を呷(あお)って、連中と一緒に京浜国道をドライブして本牧(ほんもく)あたりまで踊りに行ったこともあったが、
徳田秋声 縮図

自動車は快く京浜国道を走つてゐる。
 雪晴れの温かい夕方、どこからか汐の香が鼻を打つて来る。――直子はその汐の香だけで満足したかのやうに、さつきから眼を伏してゐる。
林芙美子 「リラ」の女達

「岩だ。それ――」
 と、命令一下、かねてこんなこともあろうかと用意して待っていた特別警察隊は、ラジオを備えた警視庁自慢の大型追跡自動車で、京浜(けいひん)国道を砲弾のように疾走(しっそう)して行った。
海野十三 地中魔

*1:極東?