環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

岩屋古墳

98.5mの遠見山の北麓に一基の円墳の横穴式石室が開口する。

町から海岸伝いの道の途中に説明板が横たわっていて、右側に平面図と玄室断面図があり、

    • 羨道:2.55m
    • 玄室:4.15m
    • 玄室幅:1.63m
    • 玄室高:1.85m
    • 玄室上部幅:0.30m

といった数値が示される。持送りの側壁のため天井部は狭い。


倉橋町史資料編?』*1では、

    • 横穴式石室(全長6.75、幅1.81、高2.02m)
    • 玄室長4.2m
    • 道長2.55m
    • 羨道幅0.9m
    • 羨道高1.3m

とある。


新見吉治「倉橋島及鹿島の古墳」(大正14年)には、「羨道址三尺*2 蓋石五枚 奥行二間半*3 幅一間*4ばかり」とあり、それぞれ「羨道幅」「玄室長」「玄室幅」に相当する。
さらにさかのぼって、まだ古墳と意識されていなかった頃、「文化度国郡志」(文化11年)*5では、

遠見山
 岩屋 壱ヶ所
入口高四尺*6 同横弐尺五寸*7
内深壱丈七尺*8 内幅五尺*9 内高七尺五寸*10

といった部位の寸法が示される。住居の間口に相当するものか「入口高」と「横」とされるのは、玄室入口か羨道先端か。「内深」は奥行とすると、玄室だけでなく羨道の一部も含めての長さか。或いはその位置まで天井石が残存していたものか。「内幅」「内高」は、玄室内のどこかの寸法にあたるものか。
遺構の描写としては「石ニて組立候ものニ御座候」とあるのみ。

*1:倉橋町.1991

*2:0.9m

*3:4.5m

*4:1.8m

*5:倉橋町史資料編?』

*6:1.2m

*7:0.75m

*8:5.15m

*9:1.5m

*10:2.2m