環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

県道152号

県道府中祇園線をgoogleマップで見ると、安芸大橋北詰で分岐している。 map:x132.477136y34.442115:map:w450 それぞれ南は大正橋、北は平成橋で古川を越えて西へ延び、国道54号を越えたところで交差し、国道183号で終点となる。 広島市の道路路線情報提供サ…

安芸大橋

戸坂千足で県道37号と152号が交差する。 152号は安芸大橋によって対岸の安佐南区東原に通じる。 昭和20年代に渡し舟が終わり、昭和27年に板張りの釣橋が架けられたことに始まる。 昭和43年に現在の自動車専用のアーチ橋となる。後に下流側に歩道橋を設置。 …

千足(せんぞく)

位置 戸坂千足一丁目は安芸大橋を境に下流、二丁目は上流にあたる。そのうちの一丁目の川沿いの一部が小字名「千足」で、安芸大橋が架かる前は、対岸の東原への渡し舟があった所。 由来としては 天文一〇年毛利元就が銀山城(跡地は現安佐南区)の武田氏を攻…

千日目

狐瓜木・狐爪木・くるめ木

神社周辺 末社のうち、八坂神社はくるめ木にあり、大矢神社は千足にある。さらに江戸時代には太田川の向こうの瑞穂神社*1と冬木神社*2をも管掌した。 狐瓜木神社のある宮野山(宮山・宮の山)とその南西部が「くるめ木一丁目」で、南の茶臼山ヘ延びる尾根筋…

狐瓜木豐穂稲生神社

狐瓜木神社の摂末社は「狐瓜木稲荷神社」と「大矢神社*1」と「八坂神社」*2。 本殿の段の脇に赤い鳥居が二本並んでいる。 奥に見える「豐穂稲生神社」は本殿に背を向けて建っている。稲荷神社の場合、地名を冠しない「○○稲生神社」の言葉の選択が気になる。 …

狐瓜木神社由緒書

太田川に面した丘陵の先端は、多分、風が吹く丘。 map:x132.479925y34.434523:hybrid:w450 麓にある由緒書きは日に焼けて一部読めない。 狐瓜木神社由緒 祭神 本殿 八幡神 相殿 志那 本社は志那都彦神、事代主神を勧請し たのは貞観二年(紀元八六〇年)〜 …

傾き垣根

拝殿と本殿とは高低差があって、石垣と垣根が取り巻いている。 前方から見上げるだけでもそのうねりがわかる。 背後の垣根は、外側に向かって倒れそうだが、白いシートが瓦を巻いているので、一枚一枚落ちてくることはない様子。

狐瓜木神社石灯籠

東区戸坂くるめ木の山の上に狐瓜木神社があり、麓からまっすぐ石段が続く。 石段の中腹にある石灯籠に注意書きがあり、 きけん(あぶない) 石どうろうにあがったり つかまったりして あそばないこと と、「石」以外は平仮名でもって危険があぶないと呼びか…

石鳥居の補強

例えば甲田町の宍戸司箭神社(五竜城跡)の石鳥居。奉納は文化3年*1。 左右の足に取り付けられたステンレスの輪。その隙間に見える石の折れた跡や風化した表面。 痛々しいように見えたり、注意書きがいらないほどにしっかりサポートされてる、とも言えて。 *…

手すり注意

それらの計測の際に、「石造物によっては、二・三百年も経過し、傾いていて不安定なものもあり、大変危険な調査であった」(前掲書)とあるように、 石灯籠だけでなく、もたれかかることの多い玉垣にも注意書きがあちこちに見える。 「危険(消えかけ)」「さ…

玉垣二例

というふうに、広い境内にある石造物を片っ端から載せていくと、きりがないくらい多いので、 『沼名前神社の石造物-石が語る鞆の津の歴史-』(福山市鞆の浦歴史民俗資料館発行)のような本も作られるほど。 境内の方々を取り巻く玉垣も、場所ごとに設置の時…

鞆護国神社

赤い鳥居をくぐって石段を登ると沼名前神社の境内社が南北に並んでいる(向かって右手が北)。 一番北に位置する神明造の社殿が護国神社。その隣の大きい方は渡守社。 さらに北に隣接して砲弾の乗った石碑は、明治31年の呉鎮守府司令官らの名が刻まれている…

沼名前神社石灯籠

福山市鞆の浦を見下ろす沼名前神社。 安国寺方面から登ると階段の前に赤い鳥居と石灯籠。 向かって右が文久三年*1で、左が万延元年*2。 どちらも「危険 さわらないで下さい」の注意がくくってある。特に笠が載っている線が目立つ。 *1:1863年 *2:1860年

艮神社鳥居

福山市北吉津町の艮神社。 参道の途中にある石鳥居は、注連縄と扁額に飾られて重厚に構えているが、 鳥居 正徳六年(西暦一七一六年)*1 風化が激しく折れる危険があります 絶対に登らないで下さい というプレートが付けてあって、確かに脚の辺りはほっそり…

本殿周りの補強

本殿のほうは玉垣に囲まれていて、倒壊しないようにとパイプと継手でしっかり固められ。 角の文字を見ると 「百五拾圓」とあったり「壹千圓」というのもあったり。