環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

犬の散歩もどき

野良猫のいる場所の場合、ものの持ち込み・放置が警戒され、飼い犬の散歩道の場合は、もっぱらフンの扱いが問題となる。 注意書きが設置される場所が、そういう被害が頻繁に起こりがちな場所だとすると、常習性が高いというか、犯行現場に戻る習性があるとい…

元宇品の山中

3月ごろの様子。 市の中心部ちかくだと、比治山や元宇品といった山林のある公園に野良猫が多く、 公園内の車道沿いに各種の警告の貼り紙があるわけで、ゴミの不法投棄*1のみならず、動物を捨てるだのする外道もいたりするらしく。 広島の猫 「地域猫活動同盟…

広場の奥行き

ジュノー広場の中心、石碑やレリーフのある空間は、小学校旧校舎と市民交流プラザ南館の間に位置し、歩道に面した街路樹部分よりは少し奥まったところにある。 手前は丸い鉢が仕切りのようになっていて、子猫が雑踏を眺めるのに安全な空間なのかもしれず。 …

ジュノー広場と旧町名

東魚屋町など市内の多数の町名は、昭和40年の整理で住居表示としては消滅する。(その瞬間に誰も使わなくなるということはないだろう) 袋町小学校西側のジュノー広場には、街路樹の周囲に小振りな石碑が林立し、旧町名(現存も含む)24点の名が刻まれている…

中の棚橋の跡

平田屋川跡に相当する金座街に接する「中の棚」の起点に「遺跡中の棚橋」を説明するプレートが設置されている。 (略) この場所に護岸の石が多数発掘され、平田屋川と中の棚橋が確認されました。 その遺跡は現状のままこの真下に永久保存されております。 …

中の棚と絵図

中区立町の中の棚商店街の南北の筋に、「安芸国広島城所絵図」を掲載した説明板が設置されている。 「この絵図は、天保年間(1644-1648)に幕府の命により作成された」とあるのは正しくは「正保年間」。西暦はそのまま。 国立公文書館 : Digital Archive で…

京橋

西国街道が京橋川を越えるところに架かっているのが「京橋」。 西詰の下流側に平成18年設置の説明板があり、毛利氏時代の16世紀末頃に最初に架けられたのが幅約5メートルの木橋で、現在の橋は昭和2年に架け替えられたもの、とある。 京橋 京都朝覲の首途なる…

京橋川に芝生

上柳橋と京橋の間の京橋川西岸。桜や柳が立ち並ぶ公園に、芝生を囲んだ小さな区域があり、 旧市民球場の芝生が使われていることが示されている。鳩もよく憩っておる。

中央公園芝生の注意

先月の写真。 中央公園の歩道と芝生の間にロープが張ってあり、注意の白い看板が立っている。 「注意!痛い!」と呼びかけて、対象の写真とトゲの部分の拡大図を載せている。分かりやすい。「広島市都市整備局緑化推進部緑政課」と「(財)広島市動植物園・公…

堤防の鯤

北冥有魚,其名曰鯤。鯤之大,不知其幾千里也。化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也;怒而飛,其翼若垂天之雲。是鳥也,海運則將徙於南冥。南冥者,天池也。 http://zh.wikisource.org/wiki/%E8%8E%8A%E5%AD%90/%E9%80%8D%E9%81%99%E9%81%8A 「海と…

原爆の子の像

昭和59年発行の『ひろしま水と緑と彫刻(ひろしま文庫4)』*1では、「鈴木三重吉記念碑」(赤い鳥文学碑)は「祈り」の章の筆頭に位置し、その次に「原爆の子の像」(菊池一雄)と続き、「祈りの像」(横江嘉純)・「平和祈念像」(圓鍔勝三)と平和公園内の…

「赤い鳥」文学碑

相生橋趾碑の北隣が川へ下りる階段で、さらに隣に四角い石碑が二つあり、上部にある銅像が川を背にしている。 鈴木三重吉の像の方に「赤い鳥」の題字が刻まれている。昭和39年の建立。 ようこそ 鈴木三重吉と「赤い鳥」の世界へ のサイト内に「三重吉文学碑…

相生橋趾碑の

相生橋東詰、原爆ドームそばの元安川沿いに立つ「相生橋趾碑」と旧親柱。 旧相生橋の碑は風化しているが碑文の文章が知りたい。 | レファレンス協同データベース という質問が図書館によせられるくらい、背面の碑文は摩滅が激しい。末尾の「皇紀二千六百年」…

中島町と大手町

中島本町・天神町・材木町・元柳町・中島新町・木挽町全体と水主町の一部が現在の「中島町」。町の大部分が平和記念公園なので、面積のわりに人口は少なく393人(7月末)*1。 元安川を挟んで北東の原爆ドーム周辺も同公園であるので、全体が広域避難場所でも…

中島本町の慰霊と記録

銀色の地に青で本川と元安川が描かれ、中島の先端を成す「中島本町」の街区が復元地図となっている。その傍らには死没者名簿。 旧西国街道にあたるのが、元安橋と本川橋を通る「中島本町本通り」。現存する建物は「燃料会館」(現レストハウス) 「嗚呼中島…