環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

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「遊長門島記」は、小松原から南へどんぶらこ。

それより、又船に打のり、鹿老渡といふ處に渡りぬ、長串山尾立[人家あり小里なり]、室尾[これも亦里なり]、海越[上に同じ小里也]、などいふ所を過て、鹿老渡に到り見れば、島山のさし出たる所にて、船泊の湊なり、

『文化度国郡志』に「公儀江御差出シ郷村仮名付帳者左之通」とある中にそれぞれ「ヲタチ」「ムロヲ」「カイゴシ」「カラウト」の振り仮名がある。


続けて鹿老渡の語源に言及。

鹿老渡名義鄙俗にして通ぜず、是韓亭の訛なるべし、筑前國にもあり、萬葉集に見たり、韓人泊する所なる故に、此名あり、又次に、肥前國、松浦郡、狗島亭あり、皆韓人往来の泊する所の名によれり、

萬葉集に見たり」は、巻十五にある「筑前國志麻郡の韓亭*1に到りて、船泊して三日を経たり」という、遣新羅使の経由地の一つ。

ただしここに集落が形成されたのは「芸藩通志」によれば享保一五年(一七三〇)ということであり、これはいわゆる西廻航路の開設にともなって内海中央部を通る沖乗航路の重要性が高まったことに起因するものであろう。
『日本歴史地名大系35 広島県の地名』

ということで古代にまでは遡らない地名かもしれない。

*1:からどまり