環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

国司村での銀使い

渡し船の造り替えに銀2枚(43匁×2)支給されるのが、どれくらいの足しになるのかよく知らないけれども。
文政初頭の国司*1村「国郡志御用ニ付下調書出帳」*2にある「諸上納」「諸給分」の額は米と銀の値で示されている。年単位の数量の目安として。

一、諸上納
高弐百弐拾五石八斗八升  御免四ツ三歩四厘
(略)
銀五拾五匁五分  夏秋小物成両取立
(略)
一、諸給分
米一石七斗  庄屋給
(略)
同六升  吉田宿料
(略)
銀三拾目  筆黒紙灯油料
同四匁  可部宿料
(略)

これらが税として収めたり役として支給されたりする規定。
あと「風俗之儀」には、真宗門徒講中で葬儀に持ち寄る香典の額が示されている。

講中死人有之時は知音早々立集り楽に世話致合香典大人二匁に藁壱メ*3五百目小児壱匁藁一貫目宛持寄

近隣の村でも同様に「香典と唱」え、「弐分三分程」(中馬村)や「銀少々宛」(川本村)持ち寄っているとある。

*1:くにし

*2:高田郡史資料編』所収

*3:合字「シテ」の表記