環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

神田川の橋

などと、『通志』で「神田橋」ではなく「牛田橋」が見出し語になっている理由を付けてみたものの、京橋川猿猴川の分岐点までの区間を「神田川」と呼んでいたのであれば*1、どちらの橋名で構わないことになるか。「牛田に渡る唯一(当時)の橋」の意か、「神田川に架かる唯一(当時)の橋」の意か。厳密には後者は「神田川橋」になるというくらいの違いか。*2


現在では上流から「新こうへい橋」「工兵橋」「牛田大橋」「神田橋」「(鉄道橋)」「常磐橋」「栄橋」が架かっている。川の名や対岸の名が橋名に使われた後は、よほど特殊な由来(工兵橋)がない限りは「常磐」「栄」といった抽象的な言葉*3を使う流れだったのだろう。


他の川に架かっている橋の名前全般で見ると、どうしても「よくある名前」でしかない場合でも、限られた区間での架橋時期・順序に規定された結果として見れば、個別の背景を持つ唯一の存在であることを再認識する。ことさらに凝った名前にしなくとも、近隣の橋の中で弁別できれば良いのであって、全国に「府中市」がいくつもあったっていいじゃないかと言えなくもない。

*1:芸藩通志では「京橋川」又は単に「大田川」。 『縮景園史』ではもっぱら園外の川を「神田川」と表記

*2:根の谷川の場合、「根の谷川橋」も「根谷橋」もある

*3:または年号や「○○新橋」など