環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

焼けても狐狸ない

その上には 「たき火や火遊びはやめましょう 中区役所管理課」 の注意書き。 狸に言っているのか狸が言っているのか。

窮鳥ならざれば敢へて懐に入らず

変わって広島市内の公園に。 「ハトにエサを与えないで」との看板。 鳩が「自力で生きられなくなります」と言って、餌を拒絶する。 自力で生かすまいとするその手は、飼うでもなく食うでもなく、ついばんで見せろと強いるものの、予想だにせぬハトのハンスト…

餌付け逃げ

厳島の住宅街で、 「玄関先で鹿にえさをやってはいけません」という立て札を見る。 餌をやるからには最後まで面倒をみないといけなくなるので、 全国に無数の飼い主が散らばっているという構図。呑気に高枕していることだ。

海の鹿、山の鹿、七難八苦の十五相

『歴史地名大系35 広島県の地名』の索引を眺めて。 阿鹿(あじか) 沼田荘「安直郷」から中世の「阿鹿村」に 荒鹿(あらか) 『出雲国風土記』に載せる。備後と出雲の堺の「荒鹿坂」が転じて「赤の谷」になったのかと『藝藩通志』は云っている。 入鹿(いるか) 西…

「歴史資料の魅力」4 斯く描く然か鹿

安永八年*1、浅野斉賢七歳のときの「紅葉に鹿図」は、だいたいこんな構図の鹿の頭。 あとは紅葉を想像で補う。あと角も。 *1:己亥

「歴史資料の魅力-資料は語る」3 頼杏坪の甥っ子ふたり

安永九年*1に生れた頼山陽の書と、寛政二年*2生まれの加藤棕廬*3の絵を同時に見ることができる。 『節句図』は人日・上巳・端午・七夕・八朔・重陽を描いた掛軸を並べ、 『詠詩絶句十二首屏風』は池田輝政・黒田孝高・小早川隆景・福島正則・藤堂高虎・蒲生…

「歴史資料の魅力-資料は語る」2 綱晟より長命で吉長より短命で

殿様の絵(1)として浅野綱長筆『寿老図』が、(2)として浅野慶熾筆『花鳥図』が展示された。 浅野綱長は万治2年*1に生れ、宝永5年*2に亡くなった。五十歳。 *1:西暦1659年 *2:西暦1708年

「歴史資料の魅力-資料は語る」1 編入お目見え

展示された『慶長六年安藝国佐西郡伏谷上村検地帳』は、平成18年に広島市の指定有形文化財になった。湯来町が合併したため。 明治時代に合併して伏谷村になるまでは、上伏谷村と下伏谷村の二ヶ村があった。上下を後ろにつけて「伏谷上村」でも可。 場所:広…

白の誓願

桃園の三人の絵馬*1を奉納したのは「當郡白砂邑」の人。 「當郡」は佐伯郡のこと。「白砂邑*2」は現広島市佐伯区湯来町白砂。湯来町の南部、八幡川上流域に当たる。 「「国郡志佐伯郡辻」によれば、文政2年紙漉163人がおり、当村から漉き出される半紙は諸郡…

演義の文化

西暦200年は建安五年にあたり、曹操に捕えられていた関羽が劉備の元に戻ったりしたような、そんな頃。 檀渓を跳ぶ劉備や、三人の義兄弟の絵馬が千畳閣で見られる。どちらも今から200年ほど前の文化年間に奉納されたもの。 といっても文化十五年戊寅は文政元…

二百日目

虎、海を渡る

千畳閣に掲げられている絵馬の中に虎の絵が6枚あり、北東隅に「武松虎退治の図」がある。 描いた人は「豫州今治 山本雲渓」と書き、奉納した人は「豫州今張 黒部又治郎」と書いている。「今墾」でも可。 参考 原田佳子『厳島平成絵馬鑑』厳島平成絵馬鑑刊行会…

毘沙門天の使い

安佐南区案内図*1に権現山の毘沙門天が描かれている。安芸武田氏の銀山城の北方の守護。 南面する山腹で日向ぼっこを終えて起き上がったものの、 眼下の安川を渡ったら「暴虎馮河だ」って言われちゃいそうなので、 動くに動けないでいるようす。 *1:安佐南区…

虎視眈々

太田川発電所*1の「太田川水系案内」には樽床ダムや南原地下揚水発電所などの施設が描かれている。 安佐動物園の位置には虎が蹲っている。この案内図では天守閣の寅の方角にあたる。実際には亥の方角となる*2。 開園が昭和46年で、トラ・ヒョウ舎の公開が48…

安佐(あさ)

明治31年、高宮郡と沼田郡を併せて安佐郡が成立。昭和48年までに全域が広島市に編入されたことによって消滅。 昭和30年、安佐郡北西部の5ヶ村が合併して安佐町が成立。昭和46年に南隣の沼田町に続いて広島市に編入される。旧安佐町域の大字は「安佐町」を冠…

旧郡名の棲み分け

安佐南区の北東部の八木・緑井・川内は広島市に合併する前は安佐郡佐東町だった。 古代の佐伯郡が佐東郡と佐西郡に、安芸郡が安南郡と安北郡に分かれ、江戸時代のはじめ、佐東郡は沼田郡に、佐西郡は佐伯郡に、安南郡は安芸郡に、安北郡は高宮郡に改名したも…