環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

観音堂再建

この地に移転した時、 昭和38年11月17日落成の「馬頭観音堂再建*1新築寄付者人名」が堂内に掲示されている。 はじめに「御幕」と「大幟」という物品の提供者の名があがり、次に「金壱千圓」の寄付者、以下「歩役(夫役?)」提供者が18人並ぶ。 「歩役」の量ご…

船峠馬頭観音

北広島町の新庄*1と志路原*2を結ぶ道を船峠*3という。火野山*4と加計山に挟まれている。 南北両方とも緩やかな勾配で、整備された車道はところどころ曲折あるが概ねまっすぐ。 map:x132.472458y34.738298:hybrid:w500 新庄方面に下る途中の道路沿いに見える…

馬碑

横長の石が魚なら、縦長の石は馬になるか。そういう意図はないにせよ。 中区、空鞘橋東のファミリープールそばにひっそりとある「馬碑」は、昭和3年に輜重兵第五連隊の兵営に建てられた。 手前に見える石は、昭和57年に表示として設置されたもので「輜重兵第…

太田川漁業協同組合養魚場

安佐北大橋の山向こう、東の可部方面に進むと養魚場がある。 県道がわから目立つのは、建物の外に突き出たホースから勢いよくでる水の音。 水利使用標識も見える。 河川名 一級河川 太田川 許可年月日・許可番号 平成3年4月22日 建中水第116号 許可期限 平成…

柳瀬

キャンプ場の入口、安佐北大橋を見上げる位置に柳瀬バス停がある。 緑井からの路線バスが弘億団地・筒瀬を経由してここで終点となる。 「やなせ」の由来について、『国郡志御用につき下調べ書出帳』はふたつを挙げる。 柳瀬村ハ川筋ニ而其処ノ模様或ハ大木抔…

鮎のレリーフ

安佐北大橋の橋名板は面積の広いモニュメントにくっついている。 丸い穴の奥に黄色い球体が見え、六角形のくぼみが円をかすめる(という表現でいいのかどうか)。 くぼみのなかを泳ぐ二匹のアユは、田部健次氏の平成4年*1の作品。 橋の脇の苔の上でも泳いでい…

安佐北大橋

「柳瀬*1」は南北に細長く丘陵が突き出たところ。太田川がそれを取り巻くように南下した後北上する。 map:x132.48426y34.506557:hybrid:w450 可部町今井田*2と安佐町筒瀬とを結ぶ「安佐北大橋」が架かっている。どちらも安佐北区。 湾曲する太田川の内側に砂…

太田川と橋脚

写真の方向は北。右*1は県道177号、対岸*2は県道267号。川の中というか川べりに立っている橋脚が第三太田川橋になる予定。 川は北へ向い東・南へと湾曲し、「太田川橋」と「新太田川橋」のある国道54号を過ぎていく。 *1:安佐南区八木町 *2:安佐北区可部町今…

今年いっぱい片側交互通行

安佐南区八木町の県道177号。太田川に沿って湯来町に至る。 工事のため、道路の半分が鉄の壁で延々と仕切られている。 それに沿ってカラーコーンも点々とあって、電柱と向かい合っている。 区間の両端で車を誘導して片側交互通行を実施しているなか、歩いて…

雪に注意

三次市の太歳神社は市街地の北、比熊山の麓に鎮座する。 拝殿前の左右に赤と黄色のカラーコーンにロープがわたされていて、三角形を成したその中に雪の塊。 東西を山に挟まれていて溶けにくいのかもしれない。 屋根の谷から落ちた雪は、ロープを巻き込んだた…

花見の時期

比治山公園内の駐車場へ向う道。 花見を彩るぼんぼりが吊り下がり、等間隔に並ぶカラーコーン。 歩道と車道を区切るとともに、曲がりくねった道路を誘導する役目。 共に整然と動いたならば唇歯歩車といったところ。

残った文字

像と碑文は供出されて、のこったのは台座と枠のみ。 最近の再建にあたって新たに説明板が設置されるまでは、「元帥海軍大将大勲位子爵加藤友三郎」と「銅像建設由来碑」の題字がかろうじてこれらが何なのかを伝えていて、殺風景な空間となっていた。 そんな…

比治山の台座

広島市現代美術館の東側にある小平坦面。 加藤友三郎銅像復元委員会によって中央公園に建てられた像はフロックコート姿で、比治山に立っていたのは軍服姿。昭和10年に加藤元帥銅像建設会によって建てられた。 像とともに供出された説明板に、 今ヤ元帥逝イテ…

加藤友三郎像

広島市中区中央公園。 比治山の像が供出されて幾星霜。最近再建されたことでおなじみの加藤友三郎像。 昨年十月の写真なので、像のまわりはまだ整備中であったり。

寿像・供出・再建

御建神社の参道を降りると左手の囲まれた区画のなかに銅像が立っているのが見える。 昭和3年に作られた「木村静彦*1翁寿像」もまた昭和18年に供出したため台座のみとなっていた。供出された後すぐ、右に見える「木村翁銅像古跡之碑」が建てられて、その碑文…