環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

舗装の中の台座

同じく鞆の雁木近くに鎮座する住吉・蛭子神社。 背後が家で手前が道路の小さな境内ながら、松の木や背の高い玉垣とそれより高い社殿。 奥行きがないので階段の脇に狛犬が置かれるかたち。道路のアスファルト舗装は台座の周りにも及んでいて、「豊前丸」「幸…

小烏神社の氏子

鞆の小烏神社の狛犬は鳥居の手前に置かれて参道入口を挟んでいる。 いちばん下の大きな台石には世話人の名(屋号と名前)が連なる。その上の石には左右それぞれ「上町氏子中」「下町氏子中」との刻字。対になる奉納物の便利なところ。

石棺を見下ろす狛犬

本郷の宗長神社には二本松古墳の復元石棺がある。*1 境内の石像物に転用されていたのを復元したのが昭和58年。 なので明治に奉納された狛犬が先に置かれていたようでいて、石棺の部材はそれよりはるか前に埋められ掘られ転用されていた、という先後関係の逆…

黄魂彦神社狛犬

玉乗りの姿勢の狛犬はあまり珍しくないので、黄魂彦神社(観音新町)のように台座の刻字に特徴がある場合なら言及しやすい*1。 他には参道のどの位置にあるかとか、周りにある樹木や石造物の大小や新旧によって像の背負う景色もさまざま。 *1:いろはソート h…

同進社の奉納

石燈籠の奥には獅子狛犬がある。千田ライオンです。 こちらも昭和15年の奉納。燈籠の方は個人の寄進で、こちらは「財團法人 同進社」による。 財団法人「同進社」の解散年月日が知りたい。『広島県大百科事典』に“明治30年に解散”とあるが間違いで... | レフ…

竣功の五十年後

「今茲恰モ紀元二千六百年ニシテ又宇品港竣功五十周年ニ當ルヲ以テ知事相川勝六氏盛大ナル記念式ヲ擧ケ」と「千田廟社之記」にある。参道脇の石燈籠などもその時の境内改修で奉納された。 篆書で「奉」「獻」と正面にある。側面に寄附者、背面に周年記念の刻…

千田の十と廿

千田廟にある説明板のうち、「千田廟社之記」は昭和15年4月のもの。 頻出する「十」の字は他の字と比べても縦が短く平べったい。「四」と同様に、可能な限り平たくできそう。 隣の「廿」(下部の横画は無し)の縦画はそれほど短くなく、左への払いもある。頻…

十の字三つ

友広神社境内で、注連柱などに見られる「世話人」の字は、「十」の字を二段に分けたような字体で刻まれている。「世」よりも横長になりにくい。 参道脇の「奉」の字も上部が「十」三つに分解されていて、刻みやすい・書きやすい形。

友広神社

友広神社の創建は明らかではありませんが、境内に残る石造物から江戸時代中頃に境内の整備が行われた状況がうかがえます。このイチョウも現在の大きさから、あるいはこの時に植えられたものかもしれません。 と、イチョウの説明板にある。中島村の「国郡志御…

友広神社境内のイチョウ

広々した境内に、クロガネモチやケヤキなどそれぞれの木々が密集はせずに枝葉を広げている。 その友広神社(安佐北区可部南)にもイチョウがあり、これもまた市指定の天然記念物。「主幹が直立し、枝張も直線的なその樹形は、伸びやかで美しいものです」とま…

葉の茂り方

それらイチョウは、細々とあちらこちらに伸びた枝に葉が茂ると、全体に丸い輪郭になって枝先のちくちくした感じはなくなるけれど、はみ出した枝がばさばさしている。 久保山神社*1境内では、横へ広がっていない茂り方なので幹に密集するようにモコモコとくび…

雪のあとのイチョウ

ほかの例としては吉田の難波神社。国道54号沿いの山裾にある社殿の傍らに立つイチョウの木。 葉の落ちた枝の一本一本に雪が乗っている。白い線が交錯して枝の遠近をはっきりさせる。電線の上の雪のようにボタボタ落ちるんだろうか。

葉のない時期

この時期のイチョウの木はすっかり葉が落ちて枝がくっきり映える。先端近くにつくられた巣が、一年前の写真と変わらず残っているのも見られたりする。( 上が昨年)緑井の旧国道沿いの黄幡神社。あまり広くない境内に、社殿に倍する高さのイチョウが電線に接…

乳下がりイチョウ

拝殿の東隣にイチョウの巨樹がそびえている。幹が太いので注連縄がとても細く見える。 その枝の形状によって特に「乳下がりイチョウ」と呼ばれ、市指定天然記念物の名も「温井八幡の乳下がりイチョウ」。説明板は平成13年の更新。 指定年月日の昭和54年3月12…

温井八幡の社叢

『佐東町社寺林の樹木名札について』に載る佐東町内の神社は「宇那木神社」「光広神社」「細野神社」「温井神社」「中調子神社」「毘沙門天」の六ケ所。川内の温井と中調子以外は山を背にしているので周囲の森と連続している社叢。 温井神社の境内に多いのは…

社叢の名札

以前開催された紙屋町シャレオの古本まつりで、昭和57年発行の『佐東町社寺林の樹木名札について』という冊子を見かけたので、いずれ参照することもあるだろうと思って購入。 発行時はすでに広島市の一部ではあるけれど、旧町名「佐東町」が安佐南区の「八木…

改築記念碑の白黒

その昭和36年は社殿の改築もなされていて、現在の境内の姿が出来上がった年という感じ。 本殿同様、奥の石垣の上にそびえ立つ石碑に「細野神社改築記念碑」とある。なぜか刻字の周りが白いのでふわっとした文字に見えるけれど、背面側面の紀年銘は逆に黒字で…

細野神社の鐘

細野神社が安佐南区八木町で、その南隣の太田川発電所が八木8丁目。八木用水の水は発電所を経由する。 境内の鐘は「昭和三十六年九月吉日」の中国電力の寄進。

上八木の細野神社

八幡宮 ニ所 並に八木村にあり、一は光廣、一は細野にあり、 『藝藩通志』巻四十七 安藝國沼田郡四 八木の北に細野神社、南に光廣神社があって、八丁目の細野神社の玉垣を見ると「上細野」「下細野」「中屋」「渡場」「鳴」といった近隣の字名が集まる。 バ…

八木の三分

安佐南区八木は南の1丁目から北の9丁目まであり、八木峠を中間点とすると、5丁目と6丁目で南北に分かれる。 「下八木」「中八木」「上八木」と三分される場合、「中八木」は峠より北寄りを範囲とする。佐東バイパスで団地間を結ぶ横断歩道橋や、上八木駅近く…

八木跨線橋

佐東バイパスの通る高所には、別所団地などが南北に細長く造成されている。麓の低地は太田川が迫っていて細い。 バイパスは八木峠(やぎだお)の上を跨線橋で横切って城山へ移る。可部線と県道と、あと八木用水の隧道などをまとめて跨ぐ。 細野橋も八木跨線…

細野橋

太田川橋西詰の交差点は国道54号が東西に通り、北は県道177号が筒瀬へ、南は県道270号(旧国道)が緑井へ。 国道54号佐東バイパスは別所団地などのある高所を通過して西詰交差点へと下りてくる。 橋に向かってカーブするあたりが「細野橋」で、下には「八木…

太田川橋

戦前からの太田川橋は現在地より少し上流にあって、太田川改修にともなって新たに架橋されたのが、現在広島方面行きの車線に使われている「太田川橋」。 道路改良と河川附帯工事の合併施工により、旧太田川橋の下流20mに架橋地点を移して、前後の取付道路の…

同内容の縦横

そこには河川敷での4箇条の禁止事項の看板がある。「ゴルフの練習」「自動車やオートバイの走行」「無線機による模型飛行機の操縦」「ゴミを捨てたり燃やすこと」という内容は、太田川橋を挟んで向かい側の八木の河川敷にある2種の看板とだいたい同じ*1。 …

コースの起点

ランニングコースの起点には「はじまり」の立て札。そこから白い道が北へ続きつつ、その反対方向には河川敷へ下りる坂道がある。 河川敷への出入口はゲートが車両を入らせない。「この通路は河川管理道路であるとともにランニングコースになっています」とい…

可部バイパスとランニングコース

東へ流れた太田川は可部一丁目にぶつかって南へ曲がる。堤防上には可部バイパスが通り、中屋樋門あたりで可部街道と合流する。 川寄りの歩道には幅の広い白い道も並んでいて、「太田川橋ランニングコース」となっている。バイパスが川と離れるあたりを1500m…

支流の樋門

戦後すぐの太田川改修工事で可部・亀山に渡る堤防が新しくなった。昭和24年度には付帯工事として支流河口部の悪水樋管が改築されている。「幸戸」「帆待川」「新川」が堤防の切れ込みとなる小河川なので、扉つきの樋管が増水時の浸水を防ぐ。 当時の「帆待川…

亀山一丁目地先

昭和3年6月の大雨は可部の根谷川などの太田川支流に大洪水をもたらした。その復旧費用が関係町村の財政を圧迫するので、「一町五か村は、根之谷川・大毛寺川・行森川河川等級昇格期成同盟会を結成」*1。 一方、下流域でも橋の流失などの大きな被害が出たので…

見えにくい面

その碑は「大毛寺川改修記念」として立てられている。歩道に面した側に刻まれているので見えやすいはずが、ガードレールが一部の字を隠す。 周囲の状況が変わったことで碑の見え方が変わることもあれば、はじめから背面を見せない道しるべのようなものもあり…

消防団倉庫の傍ら

近代の消防のための警鐘台は、その痕跡として台座そのものが残っていたり*1、寄附者の名を刻んだ石柱が立っているだけだったり*2で、人目につく場所であり続けていても存在感はさまざま。安佐北区亀山南、大毛寺川沿いの消防団倉庫の敷地に立つ石柱は後者の…