環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

亀山一丁目地先

昭和3年6月の大雨は可部の根谷川などの太田川支流に大洪水をもたらした。その復旧費用が関係町村の財政を圧迫するので、「一町五か村は、根之谷川・大毛寺川行森川河川等級昇格期成同盟会を結成」*1

一方、下流域でも橋の流失などの大きな被害が出たので、「太田川改修と広島港修築の実現をはかるために、期成同盟会が結成され」*2、種々の働きかけの末に「第62帝国議会において、昭和7年度歳入出予算追加治水事業費河川費として太田川改修費を昭和7年度より同21年度に至る15か年継続支出すること」*3が議決された。

戦後の改修再開にあたって、放水路の計画は再検討となったので26年度まで本格的な工事にかかれなかった。

昭和21年度
1一般概況
 苦難の戦争もようやく終結し、本年度より太田川改修工事は再開の運びとなったが、昭和18年、20年の洪水により上流地区の被害が大きかっただけにまず洪水の被害カ所である可部地区の築堤に着手した。(略)
太田川改修三十年史』p144



可部地区の築堤・護岸工事は大毛寺川河口から東へ、亀山村と可部町の境の帆待川河口を経て南へ湾曲、三篠川根谷川との合流点までの太田川左岸。現在の亀山一丁目地先にあたる部分が「可部第4護岸」に含まれる。

*1:可部町史』p787

*2:太田川改修三十年史』p9

*3:太田川改修三十年史』p18