環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

甲田町

その小田村と甲立村が合併するのが昭和31年*1。 小田村の大字は「高田原」「上小原」「下小原」、甲立村の大字は「糘地」「浅塚」「深瀬」「秋町」「上甲立」「下甲立」。 新町名の調整がつかず、「小田」と「甲立」から一字とってしまうというのはよくある…

小田村

明治22年の町村合併で、「高田原*1」「下小原*2」「上小原*3」の三ヶ村が「小田村」となった。 甲立駅のある「大土川」筋が高田原で、古代の高田郡の中心であったことに由来するとかしないとか。 吉田口駅のある「戸島川」筋が小原で、『和名抄』の「麻原郷…

芸備鉄道

三次と広島を鉄道で結ぶとなると(明治の話)、昔からの街道「出雲街道*1」に沿って通せば主要な町を経由できてよろしい。のではあるが、途中の「上根峠*2」があまりにも難所なので、東にずらして「三田街道*3」を通ることに。 そういう路線になる予定というこ…

吉田口駅

駅前は37号と212号の両県道と通じるロータリーが整備されている。 ホームから西を見ると駅舎とロータリーがあって、さらに「三矢の駅」の看板も見える。 ここに「鉄の駅」、県道の向こうに流れる戸島川に「川の駅」、そして特産品の梨で「道の駅」を、という…

吉田口駅に至る県道

wikipedia:広島県道212号吉田口停車場線を見ると、 # 起点:安芸高田市甲田町下小原・JR芸備線吉田口駅前広場 # 終点:安芸高田市甲田町下小原・吉田大橋北詰交差点(国道54号交点) と、停車場線はたいてい短いのであっという間に歩き終える。 途中、江の川…

吉田大橋

そこから国道54号を江の川に沿って三次方面へ。 吉田町四軒屋を過ぎると甲田町下小原。合併前の境界線。 そして右手に見えてきたのが「吉田大橋」。橋の両端には「高屋大橋」バス停がある。 これが県道212号「吉田口・停車場線」で、橋も「JR吉田口駅」も旧…

八百日目

変化か併存

その外堀地区で見かけた二つの急傾斜地区の図、の一部。 「吉田」の「吉」が2種類見られる。 色あせてるほう*1が古そうではあるけれど、 どちらの字体が先とか後とか、そういう厳密なものでもない、と。 *1:そっちには昭和54年と書いてあった

外堀川の砂防工事

広島市は、どこだ、無いか*1。 では、安芸高田市のハザードマップはPDFでここから見られる。 広島の地質・地形だと、土砂災害の危険な箇所があちこちにあるので、*2前項に見たような崩壊危険区域の地図があったり、砂防工事がほうぼうの小河川で行われたりす…

行森川の支流

可部町勝木、国道191号の北にそびえる「火の見山」。 この山の南麓に流れる小川が行森川に集まってくる。 山の中腹に作られた火の見山墓苑は「北山口川」のそばにある。 国道脇から500mのぼることになるが、山林を分け入って行くわけでなく、 北山口川と東隣…

県道の変貌

北上した県道268号は国道191号に合流して終点。 それまでずっと右手にあった行森川を一回は渡ることになる。 近隣に掲示してある案内図の一部から。 南北に通る一番太い道が、少し西寄りになったバイパス。「鍛冶屋橋」を渡る。 そのすぐ右にある細い橋は「…

跡を横目に

さて、そこから県道を北に進んで行森へ向う。 太田川を右に見ながら細い道。川の手前の畑の中に少し見える土の帯。川の向こうには宮野の集落。 少し進むと山に阻まれて太田川は見えなくなる。 上の写真の谷間の底を行森川が流れる。土の帯は可部線の跡。 こ…

大野バス停付近の道

前項のGoogle地図を拡大してみると、まだ可部線の鉄路が残っているころの画像のようで、今ではもう大野の辺りは県道に置きかわっている。 この県道267号を可部線後の代替バスが可部〜飯室間を通っており*1、 その路線の途中にあるのが大野バス停。安芸亀山駅…

「大野」の「野」

その大野神社の石鳥居は昭和三年の建立。 扁額のどの字も黒々していて、軽快な動きで心地良い。 「野」の部分は現行の形とすこし違って、「田」「予」「土」の順に書かれた崩し字。 google:野 異体字で検索したりすると大体は「埜」のことを言っていたりする…

大野神社のタブノキ

安佐北区可部町勝木の大野神社。 大野の場所を一般に通用しやすく言うと、もと可部線の安芸亀山駅のあった地区のこと。 奥に本殿があってそれを囲む玉垣の内側にタブノキの巨樹がはちきれんばかり。 手前の段に下りたところに拝殿が建っていて、 屋根の上に…

海蔵寺のタブノキ

階段から見上げると灯籠の先には山林。無数の枝がくねくねと伸びていて、一本でも鬱蒼とした雰囲気をつくる。 灯籠の隣の街灯に紙がくくりつけてあり、「椨(タブ)の木」と題して説明している。 末尾に「ここにタブノキが自生しているのは、かつて瀬戸内海…

見はるかす灯籠

御幸川を遡っていくと草津の町古い町並みがあって、その北の行者山には国泰寺や草津八幡、海蔵寺。 海蔵寺の参道は山陽本線を跨いでまっすぐ階段をのぼる。 つきあたりに明治時代建立の石灯籠が立っていて「一畑薬師如来 沽輝*1」と。 「輝」きを「沽(う)*2…

風前の灯籠

西区庚午南。 御幸川の河口付近に広がる埋立地で、西区スポーツセンターや草津公園などがある。 寺社の境内ではなく*1道端に立つ石灯籠。 草がからみついていたり斜めになっていたり、「奉寄進」と刻んである横にセメントで修繕したあとがあるなど、くたびれ…