環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

豪快に献備

つけたしになるが、 広島市文化財団文化科学部文化財課の遺跡分布地図を見ると、 http://www.mogurin.or.jp/maibun/L/L-8.htm この境内と山林は「南御所(みなみごしょ)跡」という山城跡。リンク先に略測図もある。 その歓喜寺と大歳神社の境内を下りたとこ…

祇園の歓喜寺

大歳神社の隣に歓喜寺。鐘突台もある。 伝承 元慶8年、真言宗僧宥尊が武田山麓松尾山に開基し、松尾山徳達寺と号し、祇園坊とも称した。嘉元年間、安神社南側に移転、感神院と名のる。明治4年、神仏分離令により、現在地に移転。歓喜寺と改め現在に至る。 『…

ゆらゆら大歳

安佐南区祇園四丁目の大年神社。 広い平坦面の上で歓喜寺と隣り合っている。背後に小さな森を控えて北面する小祠。 安芸武田氏の古城(銀山城)の南の山裾に位置する。 往古、この社地は武田氏在城時、兵糧庫のあった所で農業祖神である大年神を奉斎したとの言…

火の粉はらはら十二神祇

神社の前、道路に面して町内会の掲示板があって、ちょうど見かけた時は「平成20年大歳神社秋祭り」のお知らせが貼られている。カミキリムシもくっついているが。 昨年の日付は前夜祭が10月18日、神楽・煙火が午後5時30分、例大祭・子供神輿がその翌日、とあ…

椋もむくむく

鳥居をくぐってすぐ、左手にあるのが椋の巨樹。根元には台があって「お休みください」と。 前項と同じく『いのくちばなし』から、「大歳神社の社叢」より。 三百年をこす、あおぎ(くろがねもち)が三本、どれも秋になると、真っ赤に実がなります。 古老の話…

井口大歳神社とその周辺

西区井口二丁目の大歳神社は万寿元年*1創建と伝える。*2 「神武天皇が井口に立ち寄られた際、船を繋いだと伝える場所を社地として創建したと伝えられている」と説明板にある。昔の海岸から大歳川をさかのぼって500mとかからないものだから、そういう話もつい…

あけわたる東

螺山の東端、大歳神社から真東を眺めると、向いに聳えるのが熊谷氏の城跡「高松山」。「説明板諸相 登山道入口」のあたりを参照のこと。 高松山の麓、街道筋の「可部町」は、 朝日遅ク照シ西ハ両中野村郷中広ク両四日市村歴先ニハ大毛寺村今井田村山遠ク夕日…

虹山の大歳神社

安佐北区亀山四丁目の大歳神社。 螺山北麓の虹山団地*1の造成*2に伴い現在地の団地東端に移転。 国道191号から団地に入る道路の左手に境内が見える。梅の季節に紅白の目立つところ。 *1:虹山(にじやま)と亀山(かめやま)参照 *2:昭和46年完成

有崎城址からの眺め

この山は神社あり公園あり文学碑*1あり、城跡もあり。参道の麓に「史蹟有崎城跡」の碑と、鳥居には「城山」の扁額も。 昭和六十二年*2の社殿修築記念碑にここの地勢が述べられる。亀も眺めている。 文政十二年 両城鳴石平より二河流域に至る埋立が完成 この…

狛犬と紋

そういう取り合わせの大歳神社なので、 狛犬の台座に紋が二種類。向って右には抱き稲、左には金の字。

金毘羅山の大歳神社

呉市の二河川西岸、海岸一丁目まで山塊が突き出している。 階段をのぼって最初の平坦地に金毘羅山児童公園。 さらにのぼると大歳神社が鎮座している。境内には金毘羅宮と愛宕神社も。 ここの場合は、大歳神社はあとからやってきたので地名のメインは金毘羅宮…

大年公園

Googleマップで大歳神社あたりを見ると、 大歳神社ではなく愛宕神社のほうが目標物に採用されていたりする。メジャー感の差? それはそれとして、神社の境内は緑に覆われていて、その北側にも緑が広がっている。 それがこの「大年公園」。 熊野町と熊野郵便…

大正の平和

その大歳神社の鳥居の前にある標柱*1。 表側の文言は、右「以敬神可為光」左「以如在可為禮」。いい具合に彫りの深さが影に出る。 建立は大正八年*2十月。左の碑の裏面に「平和克復記念」とある。ベルサイユ体制のはじまりはじまり。 *1:しめばしら *2:1919年

大歳原

熊野町の旧熊野村の字の一つ「出来」は筆の里工房の南のあたり。 その中の小字「大歳原(大年原)」のあたりは神社が集まる。 写真は教育委員会の設置した境内図。 中心にあるのが大きな拝殿をもつ「大歳神社」、穀物の神。 東隣には「大年愛宕神社」、火伏せ…