環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

バス停に立て掛け

大野インター南交差点*1の東にある「西教寺」バス停に、似たような白さの看板が立て掛けてくくりつけてある。向かいには新幹線の高架。 青い字で書かれている標語は「左右よく見て横断しよう」なので、もとは横断歩道近くにあったものか。 「西小児童会」と…

白い標語

同じく国道261号。 中国自動車道の高架が交わる「有田」バス停のちょっと北、北広島上頼信の曲がり角に、 全体に白く塗られた交通安全の看板が立っている。三面にそれぞれ 「ゆずる心に待つ心 八重地区社会福祉協議会」 「渡るなら右見て左見て手をあげて」 …

本地の道の安全

都合谷川沿いの道で、端を歩くと危険な箇所があって*1、 そこを「あぶない 危険」と注意するのは本地小PTAによる看板。 白い地に赤・黒・青の文字で示した看板が各所にあって、都合谷川と国道の交差するあたりでは「まむし 注意」がある。 比較的幅広の道が…

胡子橋と都合谷川

その胡子のお堂のすぐ南隣には、「都合谷*1川」が西の都合谷から流れ、「胡子橋」の東で冠川に合流する。 道路標識に光が反射して、あまりよろしくない写真、といいつつ使う。 失敗写真の墓場 *1:つごうたに

本地の胡

補正のきつい夜間の画像たち。 本地の市街地のさらに中央部が交差点になっていて、胡子の小祠が南西の角に建っている。(地図)もよりのバス停は「本地」。交差点の東の筋が可部峠への道。 本地村の『国郡志御用ニ付下しらへ書出帳』(文政二年)の「小祠九宇」…

本地の中心部への分岐

国道261号が南北に通って本地を通過する。南の分水界を越えると広島市へ。 map:x132.515202y34.643765:hybrid:w450 本地 (略)中央を南北に走る国道261号沿いには本地商店街があり、近世以来の町並みがよく保存されている。 角川日本地名大辞典 (34) 広島県…

北広島町本地

本地村 以下十九村を、古保利庄と稱す、當村は倭名抄所載品治是なり、今郡本にて、石見往還の驛所なり、(略) 『藝藩通志』巻五十八 安藝國山縣郡二 というわけで近世には、石見往還(広島石見間の街道で、本地・有田・蔵迫・新庄・大朝を経由)の駅の置か…

古保利

新大橋の北、志路原川東岸部が北広島町古保利で、南に面した山の中腹に「古保利薬師堂」(旧福光寺)があり、その東方には古保利古墳群が広がる。 木造薬師如来座像など国の重要文化財で知られる多数の平安仏を収めた収蔵庫の前に、「古保利薬師」の写真と略…

八重(やえ)

国道261号のうち、千代田町中心部を「八重バイパス」*1といい、「新大橋」南から東へ伸びるのが県道5号「壬生バイパス」。 壬生パイパスが千代田I.Cを過ぎたところで志路原川に架かるのが「八重大橋」。橋のすぐ南で冠川と合流する。 map:x132.540865y34.676…

口筋の形

江の川上流域は山県郡の東部を占め、大朝町・千代田町の全体と豊平の北部*1、さらに最上流部が芸北町の東部に少しかかる。 郷土史家の名田富太郎は『廣島縣山縣郡史の研究』(1953年)で「可愛川頌」の節を設け、この水系のもたらした恵みと風土を讚えた。 水…

山縣川・可愛川・江の川

大朝町新庄の開明橋。河川名は「江の川」と。 町内を流れる大塚川、筏津川、田原川、岩戸川等の諸渓流が合わさって可愛川となり、千代田町壬生を通り、高田郡八千代町の土師ダムより江の川となり、吉田町を過ぎ東北に一直線に、三次市に流れこむ。 『大朝町…

高田郡からみた河口と源流

山縣郡に発し、高田郡・三次郡を経て石見へと流れる「江の川」。 三次の合流点より上流を「吉田川」と呼んだのは三次郡の側であって、高田郡の諸村では「大川」で済ませていたらしい*1。 現在では、源流から河口までを「江の川」で統一しつつ、「一般に馬洗…

水族の分類

土師ダムトップページインデックス のサイト内の「周辺の生き物」のページに、土師ダムに生息する主な動物が紹介されている。 その分類は「哺乳類」「爬虫類」「両生類」「昆虫類」「鳥類」「魚類」が設けられ、それぞれに1〜3ページにわたって解説がある。…

宮之城附近の川

宮之城*1の丘陵先端はすぐ江の川に接していて、西に本谷川、東に油川が合流する。周辺図(http://cyberjapan.jp/ptmap/) 川本村の『国郡志御用ニ付下調書出帳』の「村内土地古今相違事」の項に 大川も往古とは附替り之趣も古老之者申伝も御座候得共是以何つ…

宮の城(みやのじょう)の神社と城

さきに挙げた延宝4年の「山手村可愛宮」というのは、『歴史地名大系35 広島県の地名』に引用されている『可愛宮の記』の文中の用例で、「山手村可愛宮の儀は人皇第一代神武天皇三年御在城、御軍御勝利の地也」という起源が語られる。 記紀に云う東征途中の安…