環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

本源寺川

安芸高田市八千代町下根と佐々井の境にある渓流「本源寺川」は、江の川支流「簸ノ川」*1の支流。 近年の*2護岸工事でまわりの耕地とともにコンクリートでしっかりと固められている。 「告示 昭和56年7月10日」とある柱も真新しく、これ以前の柱は取り替える…

菅田川と三次東ジャンクション

三次市の四拾貫町と和知町の境あたりに三次東ジャンクションがあり、中国縦貫道*1と横断道*2とを結んでいる。 完成後の道路を見たわけではなく、国道183号を通り過ぎながら建設中の様子を見たのが平成19年。国道を跨ぐ高架もまだ無く、尾道方面の道路の土台…

宗祐川

馬洗川の支流「宗祐川」は三次工業団地とマツダ自動車試験場の間を北へ流れている。工業団地内の調整池は「宗祐池」に注ぐ。 宗祐池の上流部で国道375号が横切っていて、道路沿いのホームセンター脇に「一級河川 宗祐川上流端」の柱が立てられている。さらに…

工業(ハイテク)団地

工事の看板で大きく示す場合は略して「工業団地」。 地図上では多少長くなって「三次地区工業団地」「三次ハイテク工業団地」。 三次市のサイト内の紹介ページでは「三次工業団地」。細かに見ると1期分譲地区・2期分譲地区・3期分譲地区に分かれていて、古い…

運動公園とその周り

「三次市案内図」*1に、東酒屋町の「みよし運動公園」は「建設中」となっていて時代を感じさせる。おそらく美術館もワイナリーも病院も無い頃か。 運動公園の東に「久藤ため池」があり、現在は南北の道路が出来て池の面積が小さくなっている。平成21年に見か…

酒河

明治時代、近世村の「青河」「西酒屋」「東酒屋」を合わせて「酒河村」ができる。もとのそれぞれの読みは「さけや」と「あおが」で、合成されて「さけがわ」。 「酒河」は住所表記には使われていないが、学校名や道路名などで現役。

団地いろいろ

電線の系統とか、とくに何団地か明記しなくてもいい場合に、単に「団地」と表記される。「成光」と略されるよりも段違いに汎用性が高まる。 国道375号は三次インターに突き当たると東へ曲がる。東酒屋町には工業団地あり、西酒屋町にはピオーネ団地ありと、…

成光団地入口

国道375号の三次市中心部「十日市」から三次インターチェンジまでの南北の道はまっすぐで*1、「佐藤外科前」「三次ロイヤルホテル前」を過ぎると上り坂になる。旧「原村」と「東酒屋村」「西酒屋村」との境界にあたる丘陵。 map:x132.864068y34.795507:hybri…

瀬戸見町と入口

晴海町の北には瀬戸見町。 晴海町の入口とは別に、吉浦寄りの位置に入口があり、「瀬戸見トンネル」を通って丘の上に至る。 バス停名もそのまま「瀬戸見町入口」。

晴海町の入口

呉市の川原石港と吉浦港の間に突き出た小さな半島には、低地に流通団地や海上保安大学校などがあり、高い方には晴海町と瀬戸見町の住宅地が広がっている。JR呉線は晴海町と瀬戸見町の間をトンネルでくぐっている。 幹線道路が晴海町を取り巻くようにカーブし…

商工センターの出入り

広電の電車で商工センターに向かう人は、最寄りの「商工センター入口駅」で降りて南へ歩く(または井口駅かもしれない)。 自動車にとってはその駅が入口でないのはもちろん、国道2号や2号バイパスや草津沼田道路や広島高速が入口でもあり出口でもあり。 特…

工業団地入口交差点

工業団地の入口に石碑があるとは限らなくても、大概は入口交差点にその名前が付いている。その団地に用がない人にとっても通過点の目印として間接的に利用している。 安芸高田市吉田町の中心部から東へ、甲田町方面へ向かう途中に「工業団地入口」交差点があ…

大朝工業団地

大朝インターの近くに大朝工業団地が広がる。団地の東の谷に船垰川が北へ流れる。 入口の大きな石碑に団地名が刻まれている。それの建立は平成5年。当時は安芸郡大朝町。 中国木材株式会社:会社沿革 写真の時期は平成21年はじめごろ。団地の大半を占める中…

流通団地の道

千代田工業・流通団地は千代田ジャンクション西方の丘陵上に造成されている。本地の中でも比較的千代田町中心部に近い位置。住居表示は「北広島町新都」。 千代田工業・流通団地│企業用地情報│中国電力 のページの企業用地情報では、総面積77.2haに分譲済み…

本地村の石室

『猿の国郡志』での項目名は「石室」と書いて「イハヤ」のフリガナ。石見の「志都か岩屋」などを傍証に挙げているところを見ると、この施設(実際は横穴式石室)のあるべき呼称として「イハヤ」を選択したのであって、「里俗」で一般的に使われていたとされ…

本地村の視点

横穴式石室の開口状態を指しての呼び名に、おおよその地域差があることが「国郡志御用に付下調べ書出帳」の記載から見えてくる。先行した安芸郡は「窟」「籠り塚」「火の釜」「山伏塚」など多様で、賀茂郡は「火の釜」に統一、豊田郡は著名な「親王石棺」を…

備北の一斑

庄原市に足を踏み入れたことの無い身でも、移築された横穴式石室を見ることでその地域の古墳にわずかながら接することができる。篠津原は庄原市高町、旧三上郡高村。 ということで、その名称と記述からして「火の釜」と似たつくりをしていたらしい「火塚」の…

移築の集まり

そういうふうに七ツ塚古墳群を巡ることで各種の墳丘の形状や埋葬施設の違いが実見できるのが風土記の丘散策の眼目の一つ。 そこまで足を伸ばさないでも、三十分前後の「ファミリーコース」で各種の移築施設を巡ることで古墳の埋葬施設三種類を続けて見られる…

東群の起伏

七ツ塚古墳群の東群は美波羅川近くの斜面上にある十数基。 分かれ道をたどると、まず東群最大の40号古墳の墳丘があらわれる。 案内図では墳丘の大きさが絵に表されているほかに、3基の円墳の埋葬施設に横穴式石室があったことも示されていて、いずれも南向き…

七ツ塚の形

最高所に位置するのが15号古墳で、その周りに大きめの9・10・11号が並ぶ。 15号を含めほとんどが円墳である中にあって、周りの3基が前方後円墳と帆立貝形古墳。 別の案内図では白塗りで円墳ほかの形を示しているので、方形部分の向きがわかりやすい。凡例で…

七ツ塚の数

七ツ塚古墳群は東群とあわせて60基を数える。それら全てを認識した上での「七ツ」ではないにしても、山林の中で細かい起伏がいくつか見えたらそれ以上の数あるだろうと考えれば、多かれ少なかれ実数を避ける。 案内図の絵地図上では、9号・10号・11号・15号…

七ツ塚のツ

みよし風土記の丘には「七ツ塚古墳群」が含まれる。目立つ墳丘を数えての7つか、またはたくさんあるという意味での「七ツ」か。 「ツ」はもっぱら漢字より小さい「ッ」で、たまに大きい「ツ」。「八塚ひろば」のように「ツ」を非表示にすると、多分庄原市の…

いくつかの塚

八ツ塚といい三ツ城といい二子塚という、墳丘がいくつもまとまった場所では数量を特徴とした一つの呼び名が定着する。 web検索するだけでも「一ツ塚」から「九ツ塚」までどの数も存在する。地名のみの場合もあれば古墳名もあり、中世近世の墓所や一里塚もあ…

中馬の古墳群

中馬村は、上入江と同じく現安芸高田市吉田町内に位置する*1。書出帳には「八ツ塚」が記録されている。 八ツ塚と申候而凡村の中程に腰林山之内塚御座候 いつ頃いか様の訳にて出来致し候哉相しれ不申候尤八ツは無御座塚形ち御座候分も当時は崩し居申候 只今弐…

井原の記述

現在は安佐北区白木町の井原は、吉田町の入江とは荒谷山一つ挟んで南に位置する。もとは同じ高田郡なのでいちおう「近村」。 井原村の書出帳には「塚」が村内各地にたくさんあるとして列挙されている。 一、塚弐拾壱ヶ所光泉寺上 壱ヶ所 奥行九尺 はば五尺 …

高田郡の石窟

現「貞丸古墳」は『芸備国郡志』に「西條石棺」のち改め「親王石棺」として載り、南方村の書出帳では「油塚」として報告された。その結果『芸藩通志』には「古壙 二所 官道の山麓にあり、石窟二あり、(略)」とまとめられた。同じく「石窟」として『藝藩通…

豊田郡の塚穴

現在はおおよそ三原市西部にあたる豊田郡には、「油塚」などの名を残す貞丸古墳*1や、「梅慶庵塚」と書かれた梅木平古墳*2といった、県内有数の規模の石室を備えた古墳が集中している。御年代古墳は近代の開口なので俗称が無いが、近世にすでに開口していた…

ほかの「人穴」三例

高宮郡の「人穴」三例の記述が似ているから、そのうち2ヶ所が古墳ならあと1ヶ所も古墳だろうという推定ができる。しかし他郡の例を見ると同じ名前でもバラバラの認識が集まるだけ。 豊田郡大浜村*1にも、古墳の石室を「人穴」の名で記載してある。 黄幡山人穴…

高宮郡の人穴

「給人原古墳群」は可部古墳群の中で西に離れたところにある。現状では墳丘と天井石を残してなおかつ開口しているものは1基のみ。 天井石や壁の高さを失うと、ただの凹みになって「人穴」とは異なる解釈に変わりそうで崩壊加減が難しい。小田の「湯釜古墳」…

風呂神社 同村にあり、地名を青とよぶ、樂音寺古神名帳に、阿保明神といふあり、按るに、神社の廢址を、氏輔呂と稱する事、他群に見ゆ、參考すべし、此址もと、大社なりしにや、今は、いさゝかの小祠なり、 『藝藩通志』巻七十三 安藝國高宮郡四 祠廟 人穴の…