環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

温泉跡という伝承

境内にある「松笠観音由来記」という説明板には、寺の経歴のあとに「龍水池」「稲生神社」「温泉の湧き出ていた湯釜跡」を紹介している。

「参詣道八丁目の下方の小高い所」にある「湯釜跡」というのは「湯釜古墳」のこと。

湯釜跡
 湯坪 弐ヶ所
松笠山当時安キ郡戸坂村ト論山ノ内ニ御座候往古湯涌出申候処豫州道後ニ涌出候頃ヨリ当村湯相止申候由古人ヨリ申伝候
『国郡志御用につき下調べ書出帳』


いつのころからか、昔温泉の湧いていた跡という認識が生まれた。古墳の内部が露出した瞬間の記憶は伝わっていないということか。
説明板では湧出が止まった理由として「或る時心ない者が不浄物を投げこんでから」とある。水の湧き続けている龍水池を際立たせる効果になる。


ここの湯が止まったことで伊予の道後に出るようになった、という類話が高田郡中馬村にもあり、「昔此所江湯わき出繁昌仕候由然る所此湯伊予国道後と申所へ抜け候由」*1という「湯坪谷」がある。「道後」の名を持ち出すのが遥か昔のことの象徴になっている。「大化元年から開かずの間」みたいな。

*1:高田郡史資料編』所収