小屋浦の南、天狗城山の山塊を越えると呉市天応。
延長3.65kmの「大屋川(大屋大川)」の流域に広がる海岸の町。
昭和26年までは「大屋村」で、「天応町」になった後昭和31年に呉市に編入される。
南に隣接する「吉浦町」は既に昭和3年に呉市に編入されており、
呉軍港は國難突破と共にふとつて行く。
昭和八年九月一日現在の人口はすでに二十萬六百四十二人(戸數四萬一千五百六十九)と云ふ驚異的レコードを示すに至り、全國第十位の大都會として、
さらに呉航空隊、廣(航空機製作)工廠の所在地である接續廣村 及
呉沿線の別莊地帶大屋村(海水浴場)
無線電信所と海軍水源地を有する昭和村
の隣接三町村をも漸次合併せんとする第二次、第三次の計畫もすゝめられつゝあり、
呉郷土史研究会『復刻再版 呉軍港案内』1933を1999に復刻
と、拡大する予定だったらしい*1。
「天応」の町名は村内南部の小字名に由来*2し、明治36年*3に呉線の天応駅が置かれたことにより村名以上の知名度をもつようになる。