環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

仁保(にほ)

黄金山一帯の仁保島のうち、東麓の地方・渕崎・柞木などが現在の仁保一丁目〜四丁目となる。
大正10年*1の『廣島縣史 第一編地志』に、

安藝郡
仁保村
もと海島なり、仍て仁保島と稱す、後世新開に依て陸地に接す、大正六年八月より島の字を除く、村名仁保は、昔は邇保に作る、鳰即鸊鷉*2なり、文化人等は一に香島又香州とも修す。

と、村名の変遷や別名を連ねる。「鳰」を語源とするのは『藝藩通志』を踏襲している。また、「にお」から「匂う」の意を用いて「香州」の雅称となる。
高架の加わる幹線道路沿いには、漁村や港町だったころの名残は見えないけれども、
南区みどころガイドの「みなみ区回遊ルートMAP」に仁保の旧道を歩くルートが示されている。

仁保4丁目バス停あたりから北上し、埋め立て以前からの旧道を巡って本浦の邇保姫神社に至る。この案内で「仁保」の語源として「朱砂採掘地」の意の「丹生」が示されている。

*1:1921年

*2:ヘキテイ:にお・かいつぶりのこと