環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

寺家(じけ)

寺家村の『国郡志御用就書出帳』*1(文政四年)の「古跡」として「西條柿 古木」がある。前項に見たように、「最上とかき」*2の意としてもそれはそれとして、西條での柿の起源はどこかに求められるわけで、ここでは村内の長福寺縁起をもとにして、征夷大将軍藤原頼経の病気の際に柿を献上したことが記されている。さらにその柿は鎌倉永福寺からもたらされたものとする。


下調帳では、村内の「寺院」は禅宗平泰寺の一ヶ寺、「道場」が真宗正福寺*3の一ヶ寺、「堂」が真言宗長福寺(薬師)・真言宗蓮華寺(観音)・禅宗随光寺(観音)の三ヶ所が見える。
他にも、「古跡」の部で「幸熊丸墓」に建蔵寺、「千畳敷」に龍泉寺の名が登場する。
「村内小名」の部では地名の由来が答えられる*4ものはそれぞれ記されており、「見性*5沖」は元性院*6の故地であるといい、「青谷」は青谷山慶徳寺*7があったらしいと記す。
さて、『藝藩通志』の方では「寺院」「道場」「堂(廃寺)」の五ヶ寺が載っているのはもちろん、

廢随光寺、音光庵、浄慶庵、龍泉寺法華寺、圓通寺、正聴寺、般若寺、齊明寺、圓應寺、建蔵寺 並に同村*8にあり

と、「古跡」に見えた寺も含めて十ヶ寺が列挙されている*9(村絵図にも掲載)。

(そもそも広い村ではあるけれど)寺の数がそれくらいあると、村名の由来として関わり、

一 村名
往古ハ江良田といひし由いつの比よりか寺家村と改めしハ寺數多きの故といひ傳ふ改名の年暦不知

との申告に説得力を持つことになる。(通志もその由来を踏襲)
ただ、本当の由来は違うようで、広島県 (角川日本地名大辞典)に、

しかし江良田は「西条柿縁記」の読み誤りで、寺家は同縁起に出る鎌倉永福寺の荘園の預所*10から出た名ではないかと推測される。

と改められる。

*1:『西条町誌』所収

*2:柿と書きが掛かっている、とわざわざ書いてみる

*3:もと真言宗

*4:事実かどうかはともかく

*5:ケンセウ

*6:藝藩通志』御園宇村の廃寺に見性寺が見える

*7:藝藩通志』御園宇村に慶徳寺が見える

*8:寺家村

*9:寺家村の下調帳に「廃寺」の部があったとすればそれに載るであろう十ヶ寺

*10:「寺社領などでは、寺僧や神官が預所として現地に下り、現地の荘官を指揮する権限をもった。」日本史広辞典