環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

賀茂郡の火ノ釜(一)

賀茂郡ではもっぱら「火の釜」の呼称でまとめられている。
『国郡志御用郡辻書上帳 賀茂郡 文政二年卯五月』に「寺家村熊野跡村書上帖ニ相見」と、記載のある2ヶ村を挙げるだけでなく、「西條庄高屋庄之内に数々有之由」と、記載していない村々にもあると補足されている。

賀茂郡の火の釜の事
火の釜と唱候もの西條庄寺家村熊野跡村書上帖ニ相見其外書出者不仕候得共西條庄高屋庄之内に数々有之由相聞申候方大石積上ケ上へも大石を覆ひ其上へ土を置戸口有之内広サ大概三四畳敷五六畳敷位ニ仕立候ものと相見申候此儀往古穴居之跡或者先年火雨降なとゝ申事ニて拵候ものニも可有之抔と申出如何様往古蒙(モウ)古火器を以攻来を火雨降と云触候由ニて為要害拵候ものにも可有御座哉と申値候

その内の一ヶ所、熊野跡村は後に安芸郡に変わり、現在は広島市安芸区。



熊野川の湾曲部に「香路山」があり、その麓にある「火の釜」が「熊野跡村書上帖ニ」挙がっている遺跡にあたる。
現状や同地区内の「下切山火の釜」などは、宮脇時夫著『阿戸町郷土史 原始古代〜明治維新』に詳しく記されている。