環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

修復後の参道

map:x132.365341y34.268566:hybrid:w450 山頂に至る途中のこの道は、平成17年の土石流で崩れた後、改修が加わり、頑丈な手すりが設けられた。 木々が無いこともあって、島々がよく見える。能美島の先端の豪頭鼻が右手に突き出て、大奈佐見島が左手に。

弥山からの展望

展望台には「瀬戸内海展望図」という横長の図があり、左は白木山から右は能美島までの山々の位置が示されている。 ながめてみると、能美島や似島の手前に絵の島(左)と大奈佐見島(右)が点々と。 対岸の方は廿日市の埋立地が目立つ。 『藝州厳島図會』の巻…

山頂の色

山頂の岩場は緑に囲まれた茶色。 展望台もそれに紛れそうな色で、 鹿も目立たない場所。

島の動物

祥異ではない普通の動物については、巻十七の「風俗」の部に記されている。 一 島に猴鹿多く、市中に馴れ居る、猴は常に人家に入て、食物をぬすめども、これを罰せず、但神の供物にさはる時は、島人相集て狩り捕へ、牽まはして、能美島、黒神島などへ放つ、 …

神馬の祥異

その「祥異」の部には、厳島で起こる八つの怪異、神鴉・龍燈・神馬・彌山の松明・彌山の拍子木・みさき・雪の跡・蓬莱をあげている。 動物の異変であったり、山や海での不思議な音や光が島内各地にあると紹介される。 そのうちの神馬は、今で言うと白い馬の…

藝藩通志の厳島部分

芸藩通志の凡例に、 一、厳島は藩内にても、霊異非類の地なれば、島志の製、おのづから外邑と同じからず。故に古文書、古器物、藝文なども、皆本志に附て観るものヽ便にしたがふ、他地の例にあらず といい、全159巻のうち、第十三巻から第三十二巻の19巻分を…

芸藩通志での厳島古戦場

多宝塔のある丘には大内氏の厳島での拠点「勝山城跡」碑が立っている。 『藝藩通志』巻十七に「城墟戦地」の部があり、「多寳塔陣處」の項目がある。 陶全姜は、宮尾城を攻潰さんとて、弘治元年九月、兵三萬[或曰、二万七千、或曰六万九千八百、六万餘といへ…

西の多宝塔

塔の丘と厳島神社を挟んで西向かいの丘に多宝塔がそびえる。 多宝塔 中西町岡上にあり、本尊薬師は行基の作、塔は方二間半、高八間餘、二層なり、大永三年癸未六月創造、宝永三月*1丙戌、九輪を再建す、銘受花にあり、(略) 『藝藩通志』巻十五 安芸国厳島…

絵葉書向きの塔

県立広島大学 | 宮島学センター | 新着情報 | 図書館企画展『美(うるは)しき厳島 - 切り取られた姿に見る人々の想い -』を開催します。 という展示が29日まで開催されていて、近代に発行された絵葉書を中心に54点の資料を見ることができる。 そのうちの第二…

龍髯の松

塔の岡の五重塔へ上る途中、塔之丘茶屋の向かい、道に沿って横に枝を伸ばす樹齢210年近くの龍髯の松。 維持管理費としての鑑賞料を入れる木箱や、横長な記念葉書の無人売場が風景に溶け込む。文字の書かれた白い紙は目立つけれども。

記念碑への道

頌徳碑のある高台からは、宮の尾が北に、塔の岡が西に見える。 五重塔の麓から光明院前を通る道に、杓子形の立て札があり、「宮島杓子之開祖 誓真大徳記念碑道 光明院前」とある。光明院の説明板は、同じ浄土宗の神泉寺の説明も兼ねる。 (略)この寺の裏手…

誓真大徳頌徳碑

宮島も水の確保に苦労した立地であるので、各所に残る誓真釣井*1が誓真の功績のひとつとして讚えられている。 高台の上から海に向かって立つ「誓真大徳頌徳碑」は、昭和12年*2建立で、碑文そのものは明治31年の百年忌にあたって記された。 表の揮毫は「知恩…

万民を利する水徳

家の守護神が蘇和神社として社殿を構えるようになったのが明治35年。境内の山口玄洞翁頌徳碑は、尾道市上水道創設三十周年記念として昭和30年に建立。 過去数百年来上水の不足に悩んできた尾道市は近時市勢の発展に伴い愈々その急を告げるに至ったので大正二…

蘇和稲荷神社

尾道駅の南、東御所町に蘇和神社が東を向いて建っている。 背後にビルが建ち、前方には陸橋が横切る位置なので、鳥居の上の小石も見える(数は少ないけれど)。 『広島県神社誌』によると、もとは山口順的家の鎮守であった稲荷がこの場所に建てられたのは昭…

千光寺山の鳥居

千光寺境内を抜けて、石鎚権現に至る岩場の中を、あまり大きくはない石鳥居が立つ。手がたう高さなうえ、すぐに高所になるので、ふりむくと鳥居の上に載る小石もよく見える。