企画展
安永八年*1、浅野斉賢七歳のときの「紅葉に鹿図」は、だいたいこんな構図の鹿の頭。 あとは紅葉を想像で補う。あと角も。 *1:己亥
安永九年*1に生れた頼山陽の書と、寛政二年*2生まれの加藤棕廬*3の絵を同時に見ることができる。 『節句図』は人日・上巳・端午・七夕・八朔・重陽を描いた掛軸を並べ、 『詠詩絶句十二首屏風』は池田輝政・黒田孝高・小早川隆景・福島正則・藤堂高虎・蒲生…
殿様の絵(1)として浅野綱長筆『寿老図』が、(2)として浅野慶熾筆『花鳥図』が展示された。 浅野綱長は万治2年*1に生れ、宝永5年*2に亡くなった。五十歳。 *1:西暦1659年 *2:西暦1708年
展示された『慶長六年安藝国佐西郡伏谷上村検地帳』は、平成18年に広島市の指定有形文化財になった。湯来町が合併したため。 明治時代に合併して伏谷村になるまでは、上伏谷村と下伏谷村の二ヶ村があった。上下を後ろにつけて「伏谷上村」でも可。 場所:広…
青空文庫*1で「神農」を検索すると内藤湖南の著書に多く目にする。加上説などに絡んで。 支那では人神牛首の神農氏が赭鞭を以て草木を鞭ち、初めて百草を嘗めて、医薬を知つたといひ、 毒と迷信 小酒井不木 昔、支那には神農様というのがあって、百草の品々…
藩営の薬草園「日渉園」の跡が、三滝山の東*1にあって、住宅に囲まれた森として残っている。 map:x132.4460y34.4179:hybrid:w350 入口に広島市教育委員会*2と広島大学*3の二つの説明板がある。google:日渉園 上段(神農堂のある段)から下段(薬室のある段)への…
安芸吉田の郡山公園の木々の間に「土生玄碩先生之碑」が立っている。 「徳川家達公爵題字 同郷の後學富士川游撰文」とある。 写真パネルで紹介された関連の展示品のうち、「土生玄碩肖像」は吉田歴史民俗資料館の所蔵。 上部につづられた事績の文中で、シー…
図録の「関連年表」は、天正19年*1の「毛利輝元広島城入城」から、明治29年の「尼子四郎・富士川游ら、芸備医学会を設立する」までの出来事が書かれている。『日本医学史』は主要参考文献の筆頭にある。 場所:広島市郷土資料館 期間:平成18年9月30日-11月5…
もちろん現在分っている限りの「最古」を問うているのは、広島市郷土資料館の企画展紹介ページの一文。 それを知ることになる「旧石器時代・縄文時代」の展示コーナーは順路の最初にある。 なので、いくら写真のupが許されたからといっても、その遺物の写真…
文化財団の遺跡データベース「倭国*1」で遺跡台帳を見る。弥生時代の遺跡とその調査原因を並べるとこんなふう。 佐伯区 平尾遺跡 宅地造成 城ノ下A地点遺跡 宅地造成 安佐南区 中畦遺跡 学校建設 毘沙門台東遺跡 宅地造成 大町七九谷遺跡 住宅団地造成に伴う…
三角縁神獣鏡でおなじみ中小田古墳群は国史跡。展示されているのは、鉄剣・車輪石のレプリカ・竪穴式石室の写真パネル。 その他市内各地の古墳時代の遺跡の出土品が並ぶ。狐ヶ城、成岡、城ノ下、弘住、新宮、塔の岡などなど。 各種そろった須恵器だけでなく…
昭和57年、安佐南区祇園町で、長束西小学校と長束中学校の建設に先立って「権地遺跡」と「九郎杖遺跡」の発掘調査が行われた。 権地遺跡の権地古墓は深さ24cmの穴と、それを覆うように広がる黒色土の遺物包含層からなる。出土の石帯は7点あり、火葬された被…
江戸時代の山陽道(西国街道)は海田・広島城下・廿日市を通ったが、古代律令時代の山陽道はそれよりも内陸部に設けられた。アストラムライン*1と芸備線*2を繋いだような道筋と思えばわかりやすい(だろうか)。 掲示された「広島市内『山城』分布地図」は、街道…
混雑時に順路に従わなかったら顰蹙者であるが、振り返るなら近い時代から見た方がとっつきやすい。故人も「現代から過去にさかのぼればこんな面白いものはない」*1と言っている*2。 150年ほどさかのぼれば江戸末期。山本夏彦の祖父は安政5年*3生まれ。34歳の…
トンガ坊城遺跡は古代から中世まで幅広い時代の品々が現れたわけですが、さらに長期間の、さらに広範囲の出土遺物を目にすることで、新たな発見があるやもしれません。漫然と見ていては好機を逃すわけですが。 場所:広島市南区宇品御幸二丁目 期間:平成19年3…
広島での巡回展をhttp://asagaonokai.jp/内から抜粋。 H19.02.27(火)〜03.04(日) 広島県民文化センター 地下1階 展示室 広島市中区大手町1丁目5-3 主催:あさがおの会 共催:朝日新聞社 後援:外務省、拉致問題対策本部、広島県、広島市 開場時間:午前10時…
map:x132.6584y34.5541:map 呉市街地から真北に約30キロのところに白木山*1が聳える。西の麓が白木町で広島市安佐北区の一部。町の中心地に芸備線の志和口駅がある。「口」であってここが志和ではない。 そこから三篠川の支流の関川に沿って南下すると志和に…
国の重要文化財の「旧呉鎮守府司令長官官舎」は建築当初の姿に復元したもの。1946年から1956年の十年間は英連邦軍の司令官官舎として使われていた。欧米風に白ペンキが塗られるなど改装されていて、現在の姿とは異なるようだ。 BCOFの初代司令官ノースコット…
「戦後復興へのみち」と同時開催の企画展。こちらは英連邦軍時代に重点。 場所:呉市入船山記念館 歴史民俗資料館 期間:平成18年12月8日-平成19年2月12日 項目:英連邦軍の進駐から撤退までの呉*1での活動を示す写真パネル。途中、BCOFはBCFK(英連邦朝鮮派遣軍…
ポスターに大きく載っているのは応急住宅と占領地域地図。 英連邦軍*1は当初の予定より広い範囲を占領地域として中四国の主要都市に進駐した。 中四国地方の地図には、部隊の展開を終えた昭和21年末の占領軍の配置が書かれている。 オレンジ色で塗られた島根…
昭和20年7月3日、呉市戦災対策連絡協議会で海軍による三角式応急住宅の建設を決めた。切妻屋根を直に据えて妻側の壁に出入り口を設けた形。妻側約5m・平側約6.4m。そのうち1440戸が呉市に譲渡された。 『呉の歴史』に載っている写真「空襲後の焼跡でめだつ…
広島城天守閣最上層は展望台になっているので、下の階と違ってカメラが使える。 そこに何枚かポスターが貼ってあり、それによって呉に行こうという気にさせるのだからあなどれない。もちろん侮ったことなどない。 場所:呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)…
平田玉蘊は「文化諸名家合作」に紅梅の絵を寄せた。 浦上春琴の「梅図」は月ケ瀬の梅を詠み、描いた。 江馬細香の詩「梅花」は山陽の批正を受けた。 詩文中では「楳」の字を用いる。 参考 『頼山陽史跡資料館開館十周年記念特別展 頼山陽とゆかりの文人たち…
資料館には中根金作の遺作の庭園があり、その内の中庭には竹と石が配されている。 見る位置によっては江馬細香の「墨竹図*1」に似ていなくもなく、平成七年の資料館案内の写真と比べると随分竹が伸びて密に茂っている。「蒼龍石に傍って蟠る」といった風情。…
場所:頼山陽史跡資料館 期間:平成17年10月19日-11月27日 展示資料 40点 1.頼山陽とその作品 頼山陽書「海田駅別聿庵詩」 頼山陽筆「耶馬溪図巻」 小川元瑞著「処治録」 2.山陽周辺の文人たち 田能村竹田筆・菅茶山賛「漁楽図」 頼春水・杏坪・山陽ほか筆「…
おもに「物怪プロジェクト三次」のページを参考にする。 三次市歴史民俗資料館での展示。 年 特別展タイトル 内容一部 2004 朝霧の巫女原画(レプリカ)展 原画・サイン色紙・DVD上映・絵巻と比較 2005 稲生武太夫伝-絵巻物の世界- 稲生怪談由来併絵(井丸本)・…
三ヶ所それぞれに「日本三景寄植の松」があり、三本の松が並んで植えられている。平成五年植樹。宮島と天橋立が黒松で松島が赤松*1。 海岸の松並木は防風林になるとはいっても、強い台風に遭うと倒れるものもあり、天橋立の倒木から苗木を育て植樹したという…
またも青空文庫を使い、天の橋立の登場するあれこれを並べてみよう。もはや安易であるか。 特異な地形 見たことが無くても「橋立のようだ」という喩えは大体通じる。 天(あま)の橋立(はしだて)を股倉(またぐら)から覗(のぞ)いて見るとまた格別な趣(…
が、郷土かるたの「あ」の札なのだが。 それはさておき。広島で開かれたのは夏なので、配られた団扇には花火大会の宣伝がある。管弦祭の夏、紅葉の秋。 もちろん雪景色の絵も描かれるけれど、雪は天橋立と松島に譲っておくかのように、朱の回廊が誇張されて…
場所:広島県立美術館・京都文化博物館・東北歴史博物館 期間:平成17/8/2〜9/4・9/13〜10/16・10/25〜11/27 展示資料*1:134点*2 プロローグ 知っていますか?日本三景 日本三景図4点(狩野養信・上田公長・山野峻峰斎・児玉希望) イメージ・ヒストリー 古…