環藝録

写真でつなぐ広島風物記録

国司村での銀使い

渡し船の造り替えに銀2枚(43匁×2)支給されるのが、どれくらいの足しになるのかよく知らないけれども。 文政初頭の国司*1村「国郡志御用ニ付下調書出帳」*2にある「諸上納」「諸給分」の額は米と銀の値で示されている。年単位の数量の目安として。 一、諸上納…

岩ノ城(いわのじょう)

岩ノ城橋と岩の城歩道橋の架かっているのは、江の川に大迫川が合流するところで、吉田町常友の東の端にあたる。国司村の「国郡志御用ニ付下調書出帳」*1に、 先年ハ大川常友村之内に御座候処洪水にて付替当時当村之内を流候由 「大川」(江の川)の流路が昔は…

滝と観音

説明文によると、滝は8mで観音堂の南に位置する。 階段状の岩場を水が流れ、その奥で少なめながらも伝い続ける水の帯。岩の色を白くしたり黒くしたり。 観音堂は『五日市町誌 下巻』社寺誌に「瀧の観音」として載っている*1が、由緒は不詳。文政2年石内村の…

狩留賀町の国道工事

参照することの多い『新版 呉軍港案内』(呉郷土史研究会刊)*1は、扉と背表紙に「昭和九年版」とあるけれども、奥付には「昭和八年十二月五日印刷 昭和八年十二月十日發行」なので、意味するところはカレンダーや手帳などと同じく、「昭和九年に使われる予…

防府駅(旧三田尻駅)

明治31年に「三田尻駅」が山陽鉄道の終着駅として開業する。 石城神社に参拝して特別保護建造物たる社殿や木鉾、高麗狗、曲玉、石斧などの神宝・蔵品を一覧し、同行の有志に神籠石に関する卑見を演説して、田布施まで出たのは夕暮であった。ここで夕食をすま…

厳島の山王社

現在の「三翁神社」は神仏分離より前は「山王社」といった。 立て札にぎっしりと書かれているのは「御祭神」と「由緒」。 青銅の鳥居の奥の社殿が三箇所。中央と左殿と右殿それぞれに複数の祭神の名が連ねてある。 天保13年刊行の『厳島図会』*1には、9月23…

旧暦二月初旬の厳島

CiNii 論文 - 福岡女子大学附属図書館蔵『東路日記』翻刻・解題(上) 小田宅子『東路日記』のはじまりは天保12年閏正月16日。筑前国芦屋の里を出発し、赤間関・浅市・小郡・山口・宮市・室積・上関という道筋をたどっている。音戸を訪れる前に「宮島」に四泊…

音戸の海路

渡し舟 昭和36年に音戸大橋が開通するまでは、当然ながら音戸・倉橋へわたるには船によらなければならなかった。現在も随時運行。 昭和8年*1の『呉軍港案内』*2に音戸の瀬戸も紹介されており、「警固屋海岸の鍋波止場から、音戸町へは渡し舟がある」とあるだ…

呉から音戸へ

清盛塚の少し南に呉市営バスの「清盛塚」バス停がある。呉駅前と桂浜を結ぶ「呉倉橋島線」(波多見経由)と音戸町内循環の「さざなみ」が停まる。呉倉橋島線は桂浜が終点になる前は「重生・室尾・鹿老渡方面行き」と表示されていた。 呉市営バス(呉市交通局…

二つの書体

その入口側の「願主 當村 種村立斎」の標柱が謹直で彫りの深い刻字であるのに対して、奥の「本邑 香川道順敬立」の標柱は流麗で濃淡の差の強い彫り方。書体の違いだけでなく、願主部分の様式も意識して変えてあるのだろう。 浅い部分は読み取りにくくなって…

文久の四柱

西に向かって細長くのびる参道の入口に、「二柱屹乎表道」「群黎肅然起敬」の注連柱(標柱)が立っている。古典の中に徳目や神威を込めるのではなくて、「二柱」が高々と聳える様子の誇らしさが表明されている。 文久2年*1のもので、石鳥居の宝永と比べると…

井折から流れる川

『芸藩通志編集資料 世羅郡下調べ書出帳集成』*1から、井折村の河川を見ると、 一 村内谷川 弐筋 住屋川幅川上三尺川下五尺、水源村内助迫より流出、村内五丁三拾壱間流レ、川下本郷村板屋川江落申候、但シ砂川 (略) とある。この住屋川の流れる皆済谷は、…

堤平神社の石

石公園南西の堤防内側に鎮座しているのが「堤平神社」で、南東の川沿いから現在地に写ったのが昭和29年。しばしば洪水に襲われた太田川沿いに、現在の規模の高い堤防が設けられる。 『ふるさとの今昔(東野・中筋・東原)』(東野公民館.2001)には神社移転…

安佐大橋と山陽自動車道

山陽自動車道の高架は、古川に接する川内二丁目を横切って東へ、五丁目・四丁目と過ぎていき、「太田川橋」によって太田川を渡り矢口へ抜ける。 太田川の上では防音壁のない区間があるので、車上からは太田川と近隣の市街地が目にとびこむ。 高架に隣接して…

眺望の路肩

平成14年発行の『あさみなみ散策マップ』(安佐南区区政振興課:編)のシリーズの中に「毘沙門ルート」が設けられている。 広島市/毘沙門ルートの概要 のページが案内文のダイジェストであるとともに、散策マップがpdfファイルとしてリンクされている。 そこ…

堤防の鯤

北冥有魚,其名曰鯤。鯤之大,不知其幾千里也。化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也;怒而飛,其翼若垂天之雲。是鳥也,海運則將徙於南冥。南冥者,天池也。 http://zh.wikisource.org/wiki/%E8%8E%8A%E5%AD%90/%E9%80%8D%E9%81%99%E9%81%8A 「海と…

相生橋趾碑の

相生橋東詰、原爆ドームそばの元安川沿いに立つ「相生橋趾碑」と旧親柱。 旧相生橋の碑は風化しているが碑文の文章が知りたい。 | レファレンス協同データベース という質問が図書館によせられるくらい、背面の碑文は摩滅が激しい。末尾の「皇紀二千六百年」…

九品寺という村名

同じく寺院名が村名になっていた「九品寺*1」は、福王寺山の東方、現在の可部トンネル*2北口近辺にあたる。 もと「下南原村」といい、のちに「九品寺」を村名としたという。大毛寺と同様に、長禄4年の福王寺縁起に「綾谷 九品寺 大毛寺」があらわれるのが古…

大毛寺(おおもじ)

福王寺山の南西斜面と螺山の北東斜面が大毛寺川を挟む一帯が大毛寺*1(旧大毛寺村)で、市街地部分はのちに亀山・亀山南となる。 map:x132.496533y34.527172:hybrid:w450 その昔「重吉*2村」が「大文字村」に改まり、「大毛寺村」の字に変わったとされ、村内…

北広島町本地

本地村 以下十九村を、古保利庄と稱す、當村は倭名抄所載品治是なり、今郡本にて、石見往還の驛所なり、(略) 『藝藩通志』巻五十八 安藝國山縣郡二 というわけで近世には、石見往還(広島石見間の街道で、本地・有田・蔵迫・新庄・大朝を経由)の駅の置か…

口筋の形

江の川上流域は山県郡の東部を占め、大朝町・千代田町の全体と豊平の北部*1、さらに最上流部が芸北町の東部に少しかかる。 郷土史家の名田富太郎は『廣島縣山縣郡史の研究』(1953年)で「可愛川頌」の節を設け、この水系のもたらした恵みと風土を讚えた。 水…

水族の分類

土師ダムトップページインデックス のサイト内の「周辺の生き物」のページに、土師ダムに生息する主な動物が紹介されている。 その分類は「哺乳類」「爬虫類」「両生類」「昆虫類」「鳥類」「魚類」が設けられ、それぞれに1〜3ページにわたって解説がある。…

安芸高田の江の川

高田郡内の『国郡志御用に付下調書出帳』*1では「吉田川」の名は見えず、ほとんどは「大川」となっている*2。吉田村の場合、見出しは「大川」で「一名江ノ川*3」と付記されている。 それら諸村の資料を元に高田郡全体をまとめた『国郡志御編集ニ就テ下調郡辻…

三次に注ぐ吉田川

『三次市史4』と『高田郡史資料編』に依りつつ。 現在の「可愛川(江の川)」のことを「吉田川」と書くのは、上川立・下川立・上志和地といった三次郡の村々に限られ、対岸の秋町・深瀬・下甲立、上流の上甲立・高田原といった高田郡の村々では「大川」や「…

川立の永屋川

永屋川は、上川立の南東部の谷から北西に向かって流れ、上川立駅の北をよぎって可愛川に注ぐ。 上川立駅内に「上川立中自治会MAP」という、明るく見やすい案内図が掲示されていて、 上川立中自治会 - 川地地区連合自治会 内の「上川立観光地図」のページで見…

可愛川の深川橋

「深瀬」という村名の由来について、同村の『国郡志御用につき下調べ書出帳』(以下、『下調帳』)は不明としている。*1 『角川日本地名大辞典』が「地名は河に由来するものか」というように、その地域の地形の特徴からいつのころからか発生したもののようで…

波多見の八幡宮

麓の鳥居と標柱の間にある石碑に八幡山神社の略歴が記されている。 平成4年の建立で、祭神が応神天皇・神功皇后・玉依姫命であることのほか、以下の出来事が載っている。 天平宝字年間 勧請 中世 戦乱によって矢野へ遷る 永禄3年 尾崎神社(矢野)から渡子*1…

『廣島市地名索引』での宇品

「本」。 ブログの途中でカテゴリを増やしていくのは、なかなか億劫な気分になるもので。さかのぼって追加するのかと思うと面倒だったりで。それはさておき。 前項に挙げた『廣島市地名索引』は大正元年の成立なので、市制施行後の廣島市の沿革には「明治三…